トヨタ「スープラ」が17年ぶりに復活する意味 今というタイミングに要素が全てかみ合った

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もちろん、生活に役立つ道具としての側面が、クルマにとって重要な部分であることは言うまでもない。しかし、その方向だけにさらに進めば、クルマは冷蔵庫や掃除機、炊飯ジャーと同じような存在になりかねないという思いはトヨタにも、自動車業界全体にもある。

これらの製品も消費者は購入の際にはこだわりを持って選ぶには違いない。しかしながら、それはあくまで性能、機能という観点からで、自己表現の道具としての価値、あるいはブランドへの思い入れや愛着といった要素は、一部オーディオ・ビジュアル機器を除けば、ほぼ加味されないと言っていい。

「愛車」と呼んでもらえる存在にしておきたい

これからもクルマを、そういう存在だと思ってもらい、できればそのうえでトヨタ車を、あるいは他メーカーでいいから選んで乗ってほしい。「愛冷蔵庫」「愛掃除機」などと称されることはまずない白物家電とはまったく異なる、それこそ豊田社長がよく言うように「愛車」と呼んでもらえる存在にしておきたいという思いが、まず大きな部分を占めているのは間違いない。

仮にカーシェアリングの時代がいよいよ本格的に到来したとしても、そうしたメーカーには消費者に価格や機能だけでなく情緒の面まで加味されて、あえて選んでもらえる可能性が残るはずだ。あるいはシェアリングで普段使いの実用車が賄えるなら、自己所有するのは本当に好きなスポーツカーをという流れだってできるかもしれない。いや、そうした趣味性の高いクルマ以外には所有してもらえるクルマなどなくなってしまうかもしれないとすら言ってもいい。トヨタとしても、そのときに備えておく必要がある。

では、なぜそうした狙いで選ばれたのが、他でもないスープラなのか。まずその背景としては、久々のスポーツカーとして「86」を世に出した後、世界中のファンから要望が殺到したということが挙げられる。

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