日本語ができない外国人は「自己責任論」の嘘 馳浩議員が語る「日本語教育」の重要性
馳:それから、これは日本語教育に結びついていくことの2つ目ですけど、リーマンショックですね。その時私は国会議員でした。リーマンショックのときに、日系ブラジル人をはじめ随分と製造業の現場で働いている在留外国人、外国人労働者が切られました。労働者のみならず、日系人の場合には家族もいますから、彼らは行き場所を失いました。
目の当たりにした「外国人使い捨て」の現状
その顕著な場所として、浜松市に視察に行ったんです。いわゆる当時の文部科学委員会のメンバーで。そのときにやっぱり愕然としましたね。まあ間は端折ってはっきり言いますけども、わが日本国はですね、経済状況によって企業は人を切るんだなと。最初に切られるのは、立場の弱い外国人労働者だったんだなと。
経済が調子いいときには、チヤホヤして、経営が厳しくなれば真っ先に外国人労働者が切られる。これは企業としては当たり前ですよね。しかし、そんなことでいいのかと。われわれは外国人労働者を使い勝手のよい、安い買い物というふうな使い方をしているんじゃないだろうかと。今後ますます生産年齢の人口が減少していく中で、必ず人材不足がやってくるのは、目に見えている。そういうときに慌ててはいけなくて、気持ちよく外国人労働者に日本に来て働いてもらえる環境づくりが絶対に必要だと思いました。
私たちは文部科学委員会のメンバーとして視察に行ってますから、日本語をマスターしてもらうことやコミュニケーションが取れること、加えてその外国人労働者の母国語の支援……それができてはじめて、ですね(環境の整備につながってゆく)。
外国人労働者は日本の各地域に住むわけだから、自治体が面倒をみることになります。自治体が在留外国人の管理がしっかりできて、子どもの教育にも支援ができる必要がある。あったんですよ、言葉ができないとか、日本人とは違うというだけでいじめが。そういう状況はですね、絶対に改善しなければいけない。それこそが相互理解と国際性というものではないかと。
2008年に発生したリーマンショック後、各地の工場に派遣されていた日系人が大量に雇止めとなりました。職を失った日系人の家庭は経済的に追い詰められました。彼らの子どもたちがそれまで通っていたブラジル人学校の学費を払えず、学校で学ぶことができなくなりました。日本の公立学校への転入を希望する家庭もありましたが、日本語の壁が立ちはだかり、多くの児童生徒が不就学となりました。
当時、日本政府は不就学となった日系人の子どもなどを対象として、公立学校への就学手続きのサポートに加え、日本語学習と教科学習機会を提供し、子どもたちがスムーズに学校へ通えるよう支援する事業(定住外国人の子どもの就学支援事業、通称「虹の架け橋教室事業」)を、緊急対策基金を組んで実施しました。全国数十か所のブラジル人学校やNPOなどが事業を受託し、「学校の外」にいた多くの子どもたちが専門家による支援を受け、公立学校へ通えるようになりました。
しかし、2015年の春にはリーマンショックの余波は終息したとして、この虹の架け橋教室事業は終了。補助金を受け無料で支援を提供していたNPOなどの中には活動を継続できず、大幅な縮小または打ち切りとなった団体もあり、少なくない数の子どもたちに影響を及ぼすことになりました。
今でも、日本語教育体制の不備によって、学校で十分に学ぶ機会を得られない子どもたちは増加し続けています。