日本語ができない外国人は「自己責任論」の嘘 馳浩議員が語る「日本語教育」の重要性
馳:国際的に外国人労働者が流動化する中で、きちんとしないと、われわれは選ばれなくなるという危機感があって。そういう意味でも、日本語教育について国策として取り組む必要があるということで、このメンバー(当時の文部科学委員会)で議員連盟を作りました。
メンバーで細々と勉強会を続けて、やっぱり日本語教育推進法が必要だということになりました。日本語教育に関する理念があって、関係省庁が協力し合ってその上で計画を立てて、政策を実行して、関係省庁の連携を取りながらレベルアップしていく。その基本となる法律が必要だということで活動を続けてきたと。こういうことです。
日本語教育について、それぞれ持ち場持ち場でお互いに情報共有ができること。少なくとも課長レベルは日本語教育関係といったところで情報共有して、国が作った基本計画や、各自治体が作った基本計画を、企業の現場で、学校の現場で、地域社会の現場で、どのように落とし込んでできるかということを総括する体制が国策として必要ではないかということ。誰が考えても、国会議員10年もやっていればすぐ分かりそうなもんだと私は思っていますよ。
神吉宇一准教授(以下、神吉。敬称略):総括できる仕組みが必要ですよね。
「日本語教育が必要だ」という概念を法律に
田中:いま現在はこの法律はまだ成立していない段階ですが、次年度に向けて日本語教育に関する新しい施策や予算が拡充されることになりました。法律がなくてもできることもあるとは思いますが、法律が成立した場合とそうでない場合の違いとはどのようなものでしょうか?
馳:まったく違います。法治国家だからです。われわれ立法府として、国内外で日本語教育が必要です、という概念を立法という形にします。すでに必要な事実があるわけだし、今後も想定されるわけですから。
それを具体的に条文として落とし込んで、落とし込んだ条文を元にして基本計画を作り、地方自治体には基本計画をもとにした計画も作っていただく。そうすれば、計画的に人材育成をしていくことができます。計画性がある、ということは当然補助金も流すわけですから。そして、その政策評価もするわけですから。人材のレベルアップを図っていくこともできます。法治国家である以上はやっぱり絶対に必要だという意識です。