チャンス大城の何とも波乱万丈すぎる生き方 壮絶な経験をネタにお笑いへとたどり着いた

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1994年にはビックママというコンビを組んだ。コンビの相手はなんと、高校生時代一緒に穴に埋められた和田英雄さんだった。

だが残念ながら、2年ほどで解散してしまった。

「お笑いに限界を感じてました。それで俳優をやろうと思って、とにかく東京に行こうと決めました」

上京の資金をためるため、携帯電話の画面のガラスを制作する工場に入った。

上京した後は、お笑いではなく俳優の芸能事務所に入ろうと思っていた。

上京して初めて住んだのは、新宿上落合にある家賃1万8000円のアパートだった。そこに、知人と2人で住んだ。ネズミがうじゃうじゃいた。隣室には不良外国人が4人で住んでいて、警察が踏み込んできたこともあった。

大城さんは、俳優になろうと思っていたものの結局とあるお笑い系の芸能事務所に入った。そこで下働きをしながら、生活費は相変わらずアルバイトで稼いでいた。

イベントホールの設営の仕事や土建業の仕事などなんでもこなした。

「いちばんつらかったのは漫画喫茶を宣伝するための看板持ちでした。一日8時間看板を持って、ひたすら立ち続けないといけないんです」

そんな時は「もし、自分が野球選手になっていたら?」という妄想をした。

妄想の中の自分は高校野球大会に出場し勝ち上がっていった。高校卒業後は阪神に入団し好成績を収めて、メジャーリーグに行った。妄想の中の自分が野球選手を引退する年頃になっても、アルバイトの時間は終わらなかった。

「結局、その事務所には13年いました。そろそろ楽になるかな?というタイミングで、辞めざるをえない状況になってしまいました。それで2009年に事務所を離れて、ガチのフリーの芸人になってしまいました」

フリーランスの芸人が呼ばれるライブ

フリーランスの芸人には基本的にオーディションが振られることはない。テレビの仕事など、はるか遠い国の出来事のように感じた。

「呼ばれるのはおかしなライブばっかりでした。出演者全員が挙動不審な『挙動不審寄席』、ライブの途中で一度だけお笑いの舞台に忍者がスッと通る『忍者が出るライブ!!』、自分が靴擦れだと申告すれば入場料がタダになる『靴擦れ寄席』などです。お客さんはもちろん多くはないですね。

正直、一昨年まではこのまま人生終わるんだなって思ってました」

同期だった千原兄弟の芸に、独断でつけていた辛口の点数がきっかけで…(筆者撮影)

そんな大城さんに光が刺した。

きっかけは、ちらかり放題だった大城さんの部屋を後輩芸人である漫才コンビ「飛石連休」の岩見よしまささんと片づけていた時だ。

「NSCの第8期生だった頃のノートを岩見さんが発見したんです。そのノートには同期の芸人さんの芸に対して僕が独断で点数をつけていました」

点数は10点満点でつけていた。そして千原兄弟の芸に対して辛口の5点をつけていた。

それを岩見さんは面白がって、千原兄弟の千原せいじさんにメールで送った。

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