「反中ワシントンコンセンサス」が猛威振るう アメリカの「中国封じ込め」、日本はどうする?

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アメリカの対中政策は「関与政策」から「封じ込め政策」へ転換した(写真:REUTERS/Kevin Lamarque)

2019年元旦は米中国交樹立40周年を迎える記念すべき日だ。だが、国交樹立以降、両国の溝はこれまでにないほど深くなっている中、その日を祝うことができるのだろうか。

現在、アメリカは南北戦争以来の分断社会といわれ、政治では党派の対立が究極に高まっている。だが、唯一ワシントンで党派を超越して共通の意識が醸成されつつあるのが、中国の不公正な貿易慣行や安全保障上の脅威などを問題視する「反中ワシントンコンセンサス」だ。これまでは親中派も多かったアメリカ産業界まで中国に批判的となる中、アメリカの対中政策は「関与政策」から「封じ込め政策」へとパラダイムシフトが起き、米中関係は新たな局面を迎えている。

アメリカは中国の将来予想を外した

今日まで、アメリカの歴代政権は対中政策において、強硬姿勢を極力抑えてきた。1972年のリチャード・ニクソン大統領の電撃訪中をきっかけに米中国交樹立を果たした1979年以来、アメリカは中国への関与を通じてアメリカ主導の国際体制に中国を取り込もうとする「関与政策」が根底にあった。

アメリカの対中政策が岐路に立つことになった1989年の天安門事件後、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時)は米議会が要望する厳格な経済制裁発動などの声を抑え、対中経済政策で関係改善の道を選んだ。ブッシュ政権を引き継いだビル・クリントン大統領(当時)も2000年、中国に対し恒久的に最恵国待遇を付与する「恒久的通常通商関係(PNTR)」に関わる法律を成立させ、翌年、ジョージ・W・ブッシュ政権(当時)発足後に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟する道を開いた。

中国のWTO加盟時、ワシントンでは国家資本主義の中国が市場開放路線、民主化などの改革を進めて、いずれは欧米が主導する仕組みの中に組み込まれることが、期待されていた。アメリカ政府や有識者は、中国が経済成長と共産党による1党独裁体制を両立することは困難であると、みていたからである。

また、ビル・クリントン大統領(当時)は2000年に、インターネットが急速に普及する中での言論統制を「まるで壁にゼリーをくぎで刺すようなもの」と語り、中国は民主化を止められないと予想した。だが、今日、アメリカの期待は裏切られた。中国政府はインターネット上で厳格な検閲を行い、「壁にゼリーをくぎで刺す」といった不可能を可能とした。

さらにはソ連崩壊の1つの要因であったグラスノスチ(情報公開)で言論の自由をもたらしたミハイル・ゴルバチョフ書記長のような指導者は、中国では登場しなかった。アメリカの期待が裏切られた背景には、世界経済のグローバル化進展と同時期に、中国が改革開放政策を取り入れたことが功を奏し、中国への投資が拡大されて「世界の工場」として成長を遂げたことがある。

中国経済が成長し、国民生活が豊かになることと引き換えに、中国共産党による統制の強化の下、中国国民は政治に口を出さないといった暗黙の了解が成立した。これは当初、アメリカ政府や有識者が描いたシナリオにはなかった。

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