「勘違い営業マン」が利休の映画を作るまで 『利休にたずねよ』森田大児プロデューサーに聞く

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――おそらく映画化したいという情熱が、先生に伝わったのではないでしょうか。なぜこの原作がそこまで森田さんを魅了したのでしょうか?

いわゆる前半の利休というのは、強い利休でした。天下人や海外からの圧力をバンとはね返して、その美の力だけで人を説得させる、それが前半のかっこよさでした。しかし、その強さの正体を暴いていくと、それは利休のいちばん弱いところに秘密があったというわけです。その弱いところが原点となって、強い自分を築き上げていった千利休というひとりの男が、かっこいいなと思ったのです。

毎日感謝することが大事

――本作を実現するにあたり、これまで森田さんもさまざまな困難があったと思うのですが、そういった困難を突破するために最大の原動力は何だと思いますか?

特に映画作りというものは、ひとりでは何もできないですから。大切なことは、いろいろな方に感謝することかなと思います。日々これ、感謝。何かをするためには、とにかく相手にお願いするしかないですから。原動力は感謝ですかね。この映画を映画化したいと思ったときに、山本先生が自分にそこまで託してくれたんだと思ったら、これはもう変なかたちでは終わらせられないと思いますからね。

――こういった大きなプロジェクトを成し遂げるためには、そうとういろいろなところに気を遣ったのではないかと思うのですが。

結局、反対された方も、応援してくれた方も、皆さん映画が好きなのです。根本に映画愛があるので、映画をやりたいという情熱を持って訴えれば、悪くする人はほぼいないです。たとえ先輩に反対されたとしても、きちんと説得をして「こういう気持ちでやりたいのです」と相談すれば、きちんと耳を傾けてくれます。

――そこはやはり駆け引きをせずに、素直にぶつかったということなのでしょうか? 

僕は駆け引きの材料がないくらいぺーぺーだったので。そういう意味ではぶつかるしかなかった。後で気づいたのですが、結果としてはそれでよかったのだと思います。変に知恵が回ったり、そこそこのポストがあったりすれば、戦えたのかもしれませんが、僕の場合は、先輩や上司にぶつかってもメリットがないので。お願いして味方になってもらうしかなかったということです。

(撮影:梅谷秀司)

(C)2013「利休にたずねよ」製作委員会
壬生 智裕 映画ライター

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みぶ ともひろ / Tomohiro Mibu

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、とくに国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても活動しており、映画祭パンフレット、3D撮影現場のヒアリング本、フィルムアーカイブなどの書籍も手がける。

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