「ただの営業マン」がどのように大作家を口説き落としたか
――山本先生を口説き落としたときは、どんな感じだったんでしょうか?
まず、山本先生は京都在住なのです。映画評論家でラジオパーソナリティでもある浜村淳さんのラジオ番組があるのですが、そこに山本先生に出演してもらうようにお願いをしまいた。浜村淳さんは僕と同じ同志社出身。そして山本兼一先生も同じ同志社大学出身というつながりで、インタビューを組んでいたのです。番組収録が無事終わり、そのあとに喫茶店で「お茶でもしましょう」とお誘いし、そこで口説いたんです。
そのとき、僕はすでに勘違いモードに入っておりまして、「東映は誰でも映画を企画していいのです」ということを言ってしまいました。そうしたら山本先生も「ほかからオファーはあるけれども、具体的な話はまだ進んでいないので、ぜひ東映でお願いします」とおっしゃってくださったのです。今、思えば、数ある可能性のうちのひとつくらいの感覚だったとは思うのですが、こちらとしては、すでに原作を押さえたというようなテンションになってしまいました。
ちょうどその頃に、田中監督も山本先生と映画化の話をしていたと聞きました。山本先生も『火天の城』を手掛けた田中光敏監督のことを信頼しているわけですから、「それならばぜひ一緒にやりましょう」ということになり、すぐに企画書を作成し、(原作を出版している)PHP研究社に原作権を押さえる話を持ち込んだということです。
――順調に進んだということでしょうか?
初めは景気よく進めていったのですが、会社での企画検討会議に入るあたりから、「森田は何をやってるのか」という声が出てきました。「そもそもなぜ原作権を押さえられているのか。直木賞作品で、しかも7社から映像化のオファーがあった作品を押さえられたのはおかしいと。もしかして上司の名前を出したりして、原作者を勘違いさせたのではないか」と、おしかりを受けたこともありました。
自分としてはそんなことは言ったつもりはないのですが、それでも勘違いさせては申し訳ないと思ったので、出版社に「いつもお世話になっております。ところでちょっとお話があるのですが、実は私はプロデューサーではございません。関西支社の映画営業の宣伝担当です。ちなみに平社員で、でもこれを映画化したいと思っています」といったことをゴニョゴニョと話し始めましたら、向こうの担当の方もやり取りを始めてから半年ぐらい経っていますから、「森田さん急に何を言い出すんですか? 知っていますよ」と。
しかし、自分の言いたいことを察してくださったのか、「森田さん、私たちは映画作りの素人かもしれませんが、もの作りのプロだという自負はあります。どういう方に原作を預ければ、いちばんいいかたちで映画ができるのか。原作の山本先生とよく話し合った結果です。このお話はもう結構です」とおっしゃってくださったのです。僕は素直にうれしかったですし、と同時にプレッシャーもいただきました。あれだけすばらしい原作を作る方は、やはり人間も熱いなと思いました。
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