コニカミノルタ「直営プラネタリウム」の実力 コピー機メーカー知名度拡大の切り札
そうした背景もあり、コニカミノルタプラネタリウムの持田氏は、プラネタリアTOKYOオープン前日に行った記者会見で、「人生において、プラネタリウムには幼少期やデート、保護者として(の付き添い)など、計3~4回しか来てもらえない」と自虐気味に話した。
長年同社でプラネタリウム機器の販売を手がけてきた藤掛曜平取締役は、「営業先は科学館や地方自治体ばかり。バブル崩壊後は予算も厳しいためか、プラネタリウム機器の売れ行きは悪くなる一方だった」と振り返る。
日本プラネタリウム協議会によれば、プラネタリウムは1990~1994年の間に新しく70台設置されたものの、それをピークに2010~2014年には新規設置台数が14台にまで減少した。
池袋サンシャインシティでの成功体験
民営のプラネタリウム施設でも経営の悪化が相次いだ。2001年には戦後東京初のプラネタリウムとして親しまれた渋谷の「天文博物館五島プラネタリウム」が閉館。施設があった東急文化会館の解体予定があったことも理由だが、「1990年代後半は赤字経営だった」(業界関係者)。
さらに1970年代から運営されていた池袋のサンシャインシティの「サンシャインプラネタリウム」も2003年に営業を停止。一方で、地元住民からは何とか残したいと継続を求める声もあった。
そこでメーカーであるコニカミノルタに運営の話が持ちかけられ、2004年に世界でもほかに例がないメーカー直営のプラネタリウム施設「サンシャインスターライトドーム"満天"」(現コニカミノルタプラネタリウム"満天" in 池袋サンシャインシティ)として再オープンを果たした。
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