建物で見る平成30年間で変わった東京の景色 古い建物は壊され、新しい物が続々登場した

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そのほか銀座では、1929(昭和4)年築の交詢社が部分保存されながらも10階建ての新たなビル(2004 <平成16> 年)となった。

銀座にあった銀座東芝ビル。現在は東急プラザになっている(撮影:今井康一) 

1934(昭和9)年築の銀座東芝ビルは東急プラザに(2016<平成28>年)、数寄屋橋交差点のランドマークだったソニービル(1966<昭和41>年築)も先ごろ解体され、現在は銀座ソニーパークとなっている。

また、関西空港も設計したレンツォ・ピアノ氏によるエルメス、アメリカ人建築家ピーター・マリノ氏によるシャネル、青木淳氏によるルイ・ヴィトンなど、銀座が世界的に活躍する有名建築家によるブランドショップの建ち並ぶ街となったのも大きな変化だろう。

鈴木俊一都知事が先導した

平成の東京をその幕開けから変化させたのは、当時の都知事だった鈴木俊一氏だった。都庁を新宿に移転させたとともに、都内各地に新たな文化施設を設置。両国に江戸東京博物館(1993<平成5>年)、木場公園に東京都現代美術館(1995<平成7>年)、有楽町に東京国際フォーラム(1997<平成9>年)などを次々にオープンさせた。

また鈴木都知事は臨海部で世界都市博開催を企図していたが、バブル崩壊と世論の反対により中止に。しかし1993(平成5)年にはレインボーブリッジが開通し、1997(平成9)年にはフジテレビが移転。お台場、豊洲、晴海、月島といった東京湾岸は着々と発展し、ついには2020年五輪の会場ともなった。

一方で、都心の歴史的建物が復元保存されるようになったのも平成時代の特徴である。昭和の末、東京駅の赤レンガ駅舎を壊しての建て替えが画策されたが、保存運動が盛り上がり計画は中止。その後、太平洋戦争で被災した建物3階部分とドーム状の屋根を失っていた建物は2012(平成24)年、約70年ぶりに創建時の姿に戻った。

このほか丸の内や日本橋では、明治生命館や日本工業俱楽部会館、日本橋の三井本館など、大正、昭和戦前の建物を保存しながら新たな超高層ビルを建設するプロジェクトが相次いだ。

丸の内にある三菱一号館(写真:筆者撮影)

さらに驚くべきことに、高度経済成長期に解体されてしまった三菱一号館を新たに復元。お雇い外国人ジョサイア・コンドル氏が設計した1894(明治27)年の建物が丸の内の街角に新たに出現した(2009年<平成21年>)。

このような歴史的建築を残しながらの再開発は、平成後期のトレンドとなり今後も定着していきそうだ。

そして2012(平成24)年、東京スカイツリーが完成したのも大きな出来事だと言えよう。東京の東側、下町が活性化し、新たなランドマークとなった。

今から30年前、平成のはじめの東京にはまだまだ昭和の街の面影が残っていたはず。それがいつの間にか、まったく変わってしまった。30年という年月以上に、平成の時代に東京が走ってきたスピードが速かったのだと感じずにはいられない。

鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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