建物で見る平成30年間で変わった東京の景色

古い建物は壊され、新しい物が続々登場した

バブル期からバブル崩壊期に東京に雨後の筍のごとく現れたのは、文字どおり「バブル建築」と言われる奇抜な建物だった。ポストモダン主義を標榜する日本の若手建築家、外国人建築家が次々にあっと驚くような外観の作品を出現させた。

その代表的なものには、浅草の隅田川沿い吾妻橋の「スーパードライホール」(1989<平成元>年)、そして世田谷の環状8号線沿いの「M2」(1991<平成3>年)などがある。

M2(現在は葬祭場)は隈研吾氏の設計(写真:筆者撮影)

スーパードライホールは、フランスのデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもので、金の炎を建物上に冠したオブジェのような建築だ。それが隅田川沿いにそびえ立つ姿には多くの人が驚愕したはずだ。

M2は、新国立競技場を設計した隈研吾氏の初期の意欲作。イオニア式の巨大な柱をモチーフとしたポストモダン建築は、自動車メーカー・マツダの新たな開発本部として建設されたが、現在は葬祭場として使われている。

貨物駅や車両基地跡が再開発

吾妻橋のスーパードライホールが建てられた場所は、以前アサヒビールの工場があった土地。一方で1994年(平成6年)には恵比寿のサッポロビール工場跡地が再開発され恵比寿ガーデンプレイスとなった。

今となっては山手線の内側にこんな大きな工場が存在していたこと自体が驚きだが、これ以降平成の中期には、大規模再開発が相次ぎ、丸の内、汐留、六本木など、今まで見たことのなかった新たな街並みが突如都心に出没することとなった。

一方、国鉄が民営化されてJRとなったことで、平成に入ってから、汐留、品川、新宿、飯田町などのかつての貨物駅跡や車両基地跡が再開発され、オフィス、ホテル、商業施設などに変化する。

なかでも汐留にはフランスの奇才ジャン・ヌーヴェル氏がデザインした電通本社ビルや、イギリス人建築家リチャード・ロジャース氏が基本構想を担当した日本テレビタワーなどの建物が誕生。このように強烈な個性を持つ外国人建築家をデザインアーキテクトとして採用することも流行した。

かつて銀座にあった松坂屋(撮影:尾形文繁)

汐留に隣り合う銀座では、銀座通りの建物の高さ制限が31メートルから56メートルに変わったことにより、ビルの建て替えが進み、資生堂パーラービル、ヤマハ、ミキモト、伊東屋など多くの老舗が新たに生まれ変わった。

なかでも松坂屋デパートが大型商業施設「GINZA SIX」(2017<平成29>年)となったのは大きな出来事だ。

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