建物で見る平成30年間で変わった東京の景色 古い建物は壊され、新しい物が続々登場した
今から約30年前、昭和から平成に元号が変わったころ、世はバブル経済に躍っていた。当時の東京では大手デベロッパーや「地上げ屋」が小規模な土地を買い上げては大規模再開発や、中規模のビルへと変化させることで都心の街並みが変化していった。
失われる建築も、新しく現れる建築も多い時代だった。平成の世に東京でなくなった建物、できた建物を振り返りたい。
1991(平成3)年には、ついにバブル崩壊。その年に東京で竣工した代表的な建築は、西新宿の東京都新庁舎であった。パリのノートルダム寺院を思わせるデザインの超高層のツインタワーで、それまで有楽町にあった都庁と同じく丹下健三氏の設計だ。
有楽町の庁舎はその後解体され、現在はそこに東京国際フォーラムが建っているが、平成生まれの若者たちのほとんどは、かつてここに都庁があったことを知らないだろう。
解体された名建築
今も世界的な巨匠として認められている丹下健三氏は2005(平成17)年に亡くなったが、その代表作の代々木体育館は2020年東京オリンピックの会場にも使用されることになっている。しかし平成の世においては、丹下氏のような巨匠の作品でも、赤坂プリンスホテルや表参道のハナエ・モリビルなど解体されてしまうものもあった。
東京が「世界都市」となり、建物の老朽化や経済性に従っての建て替えが進み昭和時代までの多くの建築が失われたのだ。神田神保町などの下町に並んでいた、戦前築の「看板建築」と言われる、建物前面を銅板貼りや左官仕事などによって装飾した商店建築。そんな昔ながらの建物の多くも失われ、移築保存されたものもいくつかはあるが、今や絶滅危惧種となっている。
原宿の表参道沿いをはじめ、代官山や大塚、江戸川橋などにあった同潤会アパートは、関東大震災後の復興期に建設された当時最先端の集合住宅だ。
平成に入ったころもそのレトロなデザインが味わい深いと、若者や建築愛好家たちからの人気が高かったが、表参道ヒルズ、代官山アドレスといった複合再開発や高級マンションなどにすべて建て替わった。そのかつての建物の姿は、安藤忠雄氏設計の表参道ヒルズの復元建物に辛うじて残されている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら