縄文人に「上下意識」があまりなかった理由 他者も自分も区別しない、という生き方

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

木の実拾いもそうだ。女たちだけがカゴを背負って森に分け入っていたわけではないだろう。そもそも、縄文人のメジャーフード(主食)は木の実である。これも地域差があるが、1年とは言わないまでも、長期保存できて少ない量で効率的にカロリーを摂取できる木の実は彼らの命綱だった。

そんな大切な食料確保作業を女たちだけに任せておくはずがない。けもの道に無数に作った落とし穴での猟も、盛んに行われていたと考えられているから、男たちにはますます時間があるはずだ。のんびり矢じりを作っている場合ではない。収穫の時期は男女関係なく木の実を拾ったに違いない。働かざるもの食うべからずである。

縄文人には「個」の概念はなかった?

仕事内容によっては男女が区別されていたものはあるだろうが、明確に分担されていたとは思えない。

「縄文時代には個という概念がなかったのではないか」という研究者の話を聞いた。なかなか痺れる考え方だ共同体として生きている彼らにとって、「自分が!自分が!」という強い自己顕示は、生きていくうえで邪魔だったというのだ。

つまり、「わたくし」という個人よりも、共同体に主体があり、その共同体の中の1人、という感覚で生きていたという。

私たちにとって「個がない」というのは感覚的にピンとこない。私は私であり、この現実を生きていくためには自己をある程度主張しなければならない場面もある。中には大多数に埋没してしまうことに恐怖を覚える人もいるだろう。しかし、縄文時代は個に重きを置かない社会だった可能性があるという。

もう少し言うと、他者も自分も分け隔てのない世界ということになる。あなたも私も同じ存在だということだ。

獲物が取れれば、仕留めた人が総取りするのではなく、すべての人に肉が行き渡るようにする。自分だけが生き延びられればいいという考え方は存在しにくい環境だったのではないかと私は思う。だって、厳しい自然環境に立ち向かうのに、ちっぽけで非力な人間が、ひとりで何ができるというのか。

次ページ人間だけでなく、自然とも「平等」だった
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事