100歳間近の女性が家族を丸ごと面倒見る気力 「娘婿に食べさせる」ための食事作りが中心
さらに、「時間の通りに動く」という課題だけでなく、生協から届く食材で作られる食事内容にも、Aさんなりの明確な基準がある。
日々行うこうした家事に加え、月ごと、季節ごとの節目に行われる特別な家事もある。 月の朔日(ついたち)・15日は「赤飯」、初夏のラッキョウが出回る季節は、その甘酢漬け作り、キュウリや茄子などの夏野菜作り、土用の丑の日は「ウナギ」、シラスの季節には、それを甥・姪たちに送り届ける仕事。
毎年漬けるラッキョウの多さ
そうした課題を達成することが、暮らしの励みとなり、単調になりがちな生活に、メリハリがつけられている。家事内容もさることながら、私が驚いたのは、ラッキョウの量の多さだった。
30~40キロのラッキョウのひげ根を揃える辛気くさい仕事。これを100歳間近の人が毎年やっているなんて! 私が想像もしなかったことである。
ところで、Aさんの気力のもととなっているのは、身近な親族である娘婿、息子、孫、甥、姪などとのつながりの中で、「ちゃんとしてやらねば」という意識である。
とはいえ、娘婿が食費や光熱費を負担していないことに見られるように、その関係は、Aさんが費やした多大な時間と経費に十分報いるものではなく、不均衡なものである。
しかし、そうした関係にAさんが不満を持ち、不服を訴えて攻撃すれば、娘婿との同居などすぐに破綻し、「元気」のもととなっている食事作り中心の日課も崩れ、Aさんの暮らしにも変調をきたすだろう。
身近な間柄で不当とも思えることがあっても、関係改善などは自分の一存ではできないのが暮らしというものである。そんな中で、生活を破綻させる方向ではなく、「嫌でするんじゃない、好きでするんです」「大変と思わないんです」と「現在を肯定」する生き方に切り替えているAさんの柔軟さこそが、「元気」の根本を支えていると思われる。
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