100歳間近の女性が家族を丸ごと面倒見る気力 「娘婿に食べさせる」ための食事作りが中心
では、プラス思考の方向に切り替えるその柔軟さは、どのような形で成し遂げられているのか。
娘婿がAさん所有の家に住み、外出時の車の運転と風呂掃除以外は、何の家事も担わず、かつ、朝夕の食事代、光熱費もいっさい支払っていないと聞き、「一銭も入れないなんて、それはひどい。腹は立ちませんか」と、踏み込みすぎかなと思いながらも聞いてしまった。
それに対するAさんの答えは、次のようなものだった。
また、甥・姪などほかの親族に、贈り物を送り続ける理由も、次のようなものだった。
2つの語りから読み取れるAさんの対処法は、暮らしの中で作る身近な二者関係の中でのみ損得勘定をせず、自分の貢献を、Aさんにとって重要な意味を持つほかの誰か、つまり、孫や曾孫、さらには死去した娘や自分のきょうだいたちといった、時空を超えた相手に対する愛情や義務やお返しという形でとらえ、マイナス思考ではなくプラス思考に転換していくことなのだ。
Aさんの「元気」を支える原動力とは何か
この柔軟性の力が、「それができるという幸せです」と言うAさんの前向きな暮らしぶりにつながっている。
こう見てくると、私が「スゴーイ!」と驚いたAさんの「元気」を支える大きな原動力としては、次の点を挙げることができるだろう。
まず、「聴力」の障がいや歩行の不自由さ以外は、重い病気を抱えていないという身体的「健康」の側面。これは大きい。
しかし、それとともに、過重とも思える日課を自分に課し、それを体力の衰えを理由に怠ったりせず、ルーティン・ワークとしてスケジュールどおりに遂行し続ける「自己統制力」、そして、それに裏付けられた「時間管理力」。
次に、そうあるしかない今の暮らしを継続するために、意に添わない、考えようによっては自分にとっては不利益そのものの関係を、プラス思考で組み替え、関係を破綻させずに持続する「社会関係力」。
日々営々と、Aさんが紡ぎ出し、積み重ねるこうした営みにより、Aさんは身近な人にとって、なくてはならぬ「必要な人」となり、ひるがえってはそれがまた、Aさんの生きる励みとなり、「元気」を維持する力ともなっている。
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