「町田ゼルビア」が世界に羽ばたく大きな野望

サイバーエージェント傘下となり目指すこと

大友も浜松町での仕事を終えてから週2〜3回練習に通った。残業でグラウンドに到着するのが練習終了の30分前であっても参加し、1人でグラウンドの周りを走っていた姿は印象的だった。

「当時からチームとしてJリーグを目指すという目標はありましたが、タケさんが来てからまずは関東リーグに昇格しようという目標になりました」

竹中以外にもJリーグ経験者が加入し、深夜まですさまじい熱量で練習に励んだが、関東リーグ昇格を懸けた関東社会人サッカー大会の1回戦で佐川急便埼玉に敗れ、2004年のシーズンは幕を閉じた。

このとき、筆者はシーズン終了後に一般企業へ就職し、大友との接点はなくなった。その後の14年にわたるストーリーを深掘りしたい。

大友がゼルビアに専念したのは2005年

「会社に辞表を出したのは、2005年に東京都リーグで優勝するかどうかわからない時でした。そこで、ゼルビアで事務局の仕事をやりながらプレーをする選択をしました。事務局長の小森忠昭さんに『事務所はありません』と言われ、大きな不安を感じたことを覚えています。

小森さんの家に郵便物が届くようになっていて、タケさんと杉本圭(湘南ベルマーレから2004年に加入)が住んでいる家に電話とFAXを置いていました。

朝起きてタケさんと圭の家に通って電話番と事務作業と営業をし、2人はその間はスクールでの指導、夜は皆で練習というバタバタな毎日でした。チームとしての収入源がほとんどなかったなか、事務局長の小森さんが時には身銭を切って奔走してくれました。彼がいなかったら今のゼルビアはないと言えるくらい大きな存在だったんです」

小森さんは、閑散とした東京都リーグのグラウンドで毎試合、太鼓を叩いて応援してくれた恩人だ。この年に念願の関東社会人サッカー2部リーグへの昇格を果たした。

練習場も恵まれていたわけではない。

「当面はずっと土の小山グラウンドでした。2009年の戸塚哲也(元日本代表)監督時代までは土のグラウンド。カテゴリーが上がるにつれ、元Jリーガーなど経験があるいい選手が入ってくるので、ボールが飛ぶんです。土のグラウンドを飛び出して、民家に入ったりして大変でした。相原中央グラウンドの照明をつける時間を、少しでも延ばすために一軒一軒近隣をまわって理解をいただいたりしていました。

2010年の相馬直樹(現ゼルビアの監督)監督になってからも、町田に人工芝のグラウンドがなかったので、人工芝ジプシーをしていました。神奈川でやったり、人工芝のある公園を転々としていました」

2011年に町田市の小野路公園グラウンドが念願の人工芝に改修され、現在も練習で使用している。

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