「私は内勤だったからそんなにバリバリ働いていなかったけど、記者の人たちはカッコいいなと思いました。会社の給料は月20万円前後で、フリーでもライターをしていたので、その原稿料が月5万円くらい。年収にすると300万円ほど。当時は卒業した大学の近所である家賃9万円のマンションに住んでいたので、とても貧乏でした」
「転職するなら起業しようぜ」とアドバイスされる
新聞社に1年10カ月勤め、正社員になりたくて老舗のPR会社に転職した。激務の月は1〜2時間しか睡眠時間が取れない日もあった。基本給自体は安く、残業がない月は手取り20数万円だったが、残業が続く月は手取り40万円にもなった。年収は500万円ほど。PR職は天職だと思うほど向いていると感じた。5年半勤め、そろそろ転職したくなった。しかし、友美さんは転職ではなく起業している。
「ずっと憧れていた外資系企業のPR職の中途採用に応募したら、2次面接まで受かっちゃったんです。それで、次は最終面接だなぁと思ったとき、はたしてこれでいいのか?と思い始めてきて。そのタイミングで、知人の男性用化粧品メーカー社長と焼き肉を食べていたら『磯野、野球しようぜ!』というノリで『転職するなら起業しようぜ』と言われたのが、起業したきっかけです。『会社をつくることで、わからないことがあったら俺が教えてやる』って言ってもらえたのも後押しになりました。
彼がいなかったら起業に踏み切れてなかったと思います。感謝しかないですね。持つべきものは信頼できる友だな、と。東京には変な大人が本当にたくさんいるので、こういう縁は絶対大事にしないといけないと思っています」
転職のつもりが起業になった友美さん。取材時はまだ起業して1カ月しか経っていなかったが、今まで培ったコネクションとコミュニケーション能力を駆使し、すでに多くの案件を抱えていた。メインは化粧品やデンタルケア商品のPRだ。今、月にどのくらい稼いでいるのだろうか。
「それが、具体的にいくらとまだ言えないんです。最初はインフラを整えなきゃいけないからガンガンお金が飛んでいく。オフィスも借りました。法人の手続きがけっこう複雑で、(オンラインではなく)書類のやり取りが多くてめんどくさいです(笑)。そのへんもすべて自分でやっているので、お金の仕組み、税金とか、こんなふうになっていたんだと知ることができて面白いですけどね。
会社員時代より今のほうが圧倒的に楽しいです。生きるか死ぬかみたいな感じで。経営陣が勝手に決める賛同できない謎のポリシーとかに従う必要もないですしね(笑)。今、自宅の家賃は10万円台ですが、社宅にする手続きがやっと完了したところです。また、会社員をやめたタイミングで自動車教習所に通い、貯金と退職金を使って免許を取りました。
私、32歳でポルシェに乗るのが夢なんです。今、カーシェアリングで車を運転して練習しています。ポルシェ持ってるのに首都高を走れないとかカッコ悪いじゃないですか?(笑)」
そう豪快に笑う友美さん。目標は「日本一給料の高いPR会社にすること」だそうだ。まるで、バブルの再来を予感させるかのような勢いを感じたインタビューだった。
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