30歳、転職より起業選んだ彼女とお金の現実 「32歳でポルシェに乗る」夢を追いかける

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「小学生の頃にバレーボールをやっていたせいもあり、身長が高くて目立っていたのと、中学生のときに眉を整えてマスカラをつけて学校に行ったら先輩に目をつけられてしまい、すれ違い際に肩をぶつけられたりしました。でも、『これが噂の……』と思った程度だったし、そうやっていじめてきた人が後に不登校になったので、その人自身ちょっと病んでたんじゃないかな、と。そういう人って行く末が知れてるし、いじめは全然気にならなかったです」

中学校では吹奏楽部に入部しクラリネットを担当し、2年生が終わるころ部長になった。友美さんが入部した当初はパッとしなかったが、彼女が部長になってからは県大会で金賞を受賞するほどになった。

「高校は結局、推薦で行けたけど、もし推薦が取れなかったときのために勉強をもっとしたいと思い、塾に行きました。でもそれも、財務省のような存在である父を説得させなきゃいけない。うちは親から何かをしなさいと言われるのではなく自主提案。こういう目的があってこの高校に行きたい、そのためには何点取れるようにならないといけない、今の自分に足りないのはこの部分、受験は戦争だから勝つためにはこの能力が必要で、そのためにこの教科の授業を受けたい、と父に具体的にプレゼンして、塾の月謝を出してもらいました。このプレゼン能力は今の仕事にも活かせていると思います」

キャバクラで稼いだお金でカナダへ留学

高校も吹奏楽部が有名な高偏差値の進学校に入学。しかし、じゃんけんで負けて希望の楽器を担当できなかったのと、毎日の練習がキツすぎてすぐに部活はやめた。

アルバイト禁止の学校だったが、部活をやめてからはこっそりファストフード店でバイトを始めた。時給は680円ほどで、月に3万円ほど稼いだ。親からのお小遣いは必要なときにもらう形で、金額は決まっていなかった。

「髪にポテトのニオイがつくし、調理場は暑いし、なんで人の食べたものを片づけなきゃいけないんだって思って、お金を稼ぐのはこんなに大変なんだと痛感しました。でも、バイト代でCDを買ったり東京に出て服やアクセサリーを買ったり、彼氏とプリクラを撮ったりして遊ぶのがすごく楽しかったです。高校時代はとにかく彼氏とばっかり遊んでいて、彼氏が途切れたこともなかったです」

子どものころから海外に興味があり、中高とアメリカへ交換留学に行った。日本の大学に興味を持てなかったので、海外の大学に行きたいと思っていたが、まずは日本の大学を出てから海外に行ったほうがいいと親に助言を受け、東京の有名私立大学に進学した。

大学では毎月奨学金5万円、仕送り5万円で生活していたが、留学のお金を貯めるため、週3回キャバクラで働いた。いくら稼いだのか聞いても覚えていないという。しかし、普通の会社員の月給より高かったことだけは覚えている。

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