<ミセス・パンプキンからのコメント>
鉄は熱いうちに打て―勉強するまでマリオと遊ばせない
お2人から、切実なご相談を寄せていただきましたのに、最初に申し上げますが、私は具体的な妙案を持っていません。私は平凡に生きてきたものですので、当コラムでも実際に経験したことや見聞したことを越えて、つまり身の丈を越えて何かを語ることのないように心がけてきました。
それで今ほどゲームが流行していなくてスマホもない時代に子育てができた幸運な世代ですので、この種の苦労があまりありませんが、今回は「非生産的な時間の浪費を続けるわが子を矯正させた親」という観点で、身の回りの事例を少し紹介させて頂ければと思います。
私の子育ての時代にも、この種の問題がまったくなかったわけではなくて、ゲーム機と勉強に関しては、多少の思い出があります。25年前、任天堂のスーパーマリオがわが家にやって来た時のことです。父親に買ってもらったのでしょう。あの軽快な電子音が奏でるメロディーに包まれて、息子たちはとても生き生きとしていて、楽しそうでした。
息子たち2人とも塾通いが始まっていて、やっとザリガニや泥んこ遊びから引き離したのに、わが家にマリオ君を招き入れるわけにはいきません。私は迷わず子供たちが学校へ行っている間に、ゲーム機を隠しました。一定の成績を取ったときだけ2時間はできるという約束で。
ところが成績に関係なく2人は上手にゲーム機を「探し出し」てはゲームに夢中です。もっとマリオ君と遊ばせてやればよかったと、私が後々何度も後悔するほど楽しくてしかたないようでした。でも当時は私も必死です。幸せそうだからと子供に引っ張られる訳にはいきません。
ゲーム機を隠しては「発見」されるイタチごっこが続きましたが、子供たちが独立したあと大掃除をしましたら、あっちこっちの押入れから同じゲーム機が何台も出てくるではありませんか。隠した私も忘れるほど完璧な場所に隠したので、私は「発見された」と勘違いし、「発見」できなかった子供たちは「見つからないように遊ぶから」と次々と父親から買ってもらっていたのです。
何が言いたいのかと申しますと、「鉄は熱いうちに打て」ということです。ゲームに全く関心のない私にとっても、スーパーマリオの音楽はとても魅惑的でしたが、ここで親が子供の喜ぶ顔見たさに引いたのでは、伸びる子も伸びません。
前に「親は子供に負けてはいけない」と申し上げたのは、このときの体験からです。わが家の息子たちは私の前では少なくとも、一定の勉強をしないと、堂々とゲーム機の前には座れなかったのです。優先順位が親子で共有できていました。
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