日本企業は、なぜ「社員のお墓」を作るのか 「企業墓」に眠る高度経済成長の戦死者たち
本書を読みながら意外だったのは、墓に対する企業の反応だ。「高野山や比叡山に企業の墓が密集している」という話を聞きつけ取材を始めた著者が、当の企業に問い合わせると、そっけない答えしか帰ってこないことが多かったという。
「創業○○周年で建てた」などの回答はまだましなほうで、「その件についてはお答えできない」とか「社名や(墓の)写真は掲載しないでほしい」などといったネガティブな回答も少なからずあったという。
企業墓から日本企業の栄枯盛衰がみえてくる
著者はそうした反応から、過去の経営者がつくってしまった「負のレガシー」を封印したいという認識があるのではないか、と推測する。実際、社史やリリースに記述のないケースも多いという。
企業墓の中にはブラック企業として有名になってしまったところもある。そうした企業は過去を消し去りたくて当然だろう。
だが著者は、成功した企業の企業墓も「以後の経営者や従業員に“裏切りを許さない”というマニフェストとも捉えられる」という見方を提示している。陰陽師風に言えば、企業墓を建てることがまるで呪(しゅ)をかけることでもあるかのようだ。企業の未来にかけられた呪……。成功しても失敗しても、企業墓の存在は、その企業の未来を縛るものなのか。
バブル時代に経営破綻したり、吸収合併されたりして、いまでは痕跡を辿るのさえ難しい企業墓も存在する。本書に記されたそれぞれの墓のエピソードからは日本企業の栄枯盛衰がみえてくる。
茨城県の鹿島神宮にある「要石」をご存じだろうか。地震を起こす「大鯰」の頭を押さえているとされる石だが、著者はこのひそみにならって、企業墓の下には、「高度経済成長時代の呻吟や苦杯が詰まった霊たちが封印されている」のではないかと想像を逞しくする。企業墓は、「社員=戦士」として死んだ者たちが怨霊となってこの世に災いをもたらさないための要石、というわけか。
無神論者の著者ですら取材するうちにそのような妄想をかき立てられてしまった企業墓。その面妖な魅力をぜひ本書でたっぷりと堪能していただきたい。
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