また、長く権力に居座ることで、その共感力はさらに低下していく。裕福な人ほど、他人の感情などを理解する共感力が下がり、賄賂や脱税など非倫理的な行為が許されると答える確率が高く、権力は共感力を促進する脳のプロセスを阻害することなどもわかってきている。これらの特質は、まさに、前妻のリタさんがつぶやいた人物像ということだ。
ゴーン氏はさんざん「カリスマ」経営者としてたたえられてきた。そもそもカリスマとは、神の賜物を意味し、神から与えられた、奇跡、呪術、預言などを行う超自然的・超人間的・非日常的な力を指す。
「真のカリスマは権威の源泉となり、承認と服従を人々に対して義務として要求する。この服従と承認は、指導者の行う奇跡によって強められる。しかし、この支配関係は指導者固有のカリスマに対する内面的な確信にのみ基づいているために、不安定な関係であり、服従者の帰依の源泉であるカリスマの証(あかし)がしばらく現れない場合、カリスマ的権威は失墜し、指導者は悲惨な道をたどることになる」(小学館・『日本大百科全書』より要約)とある。
カリスマは「天国と地獄」を見やすい
まさにV字回復という「奇跡」によって、服従と承認を強いてきたわけだが、「魔術」を見せ続けなければ、その地位は最終的には地に落ちる、ということだ。「カリスマ」は「天国と地獄」を見やすいということだろう。
ケンブリッジ大学の研究では、カリスマ経営者の下では、社員はその威光の下で、感情を抑圧されがちになり、満足度が下がりやすく、長期的に見ると組織としてのメリットは低いという。また、ゲント大学の研究では、リーダーのカリスマ性は高すぎても低すぎても問題で、ちょうどいいレベルのカリスマ性が求められると結論づけられている。カリスマ経営者の存在は企業や従業員にとっても、光と影があり、実は影の部分も大きいということだ。
富とカリスマを手に入れたゴーン氏の凋落は、「おごるものは久しからず」の『平家物語』的ストーリー性で日本人を魅了するかもしれないが、このまま、「勧善懲悪」で終わるようには思えない。どう考えても、日産側にも非がないわけがなく、またどんなにぜいたくをし、出費を重ねていたところで、グローバルスタンダードでは、決して、突出した行動にも見えないからだ。
今後、背任とみなされる行為がどう立証されるのかにかかってくるが、ゴーン氏側も、威信をかけて、反撃してくるのは間違いなく、結果的には国をまたいだガチンコ勝負になるはずだ。「カリスマ」ははたして地に落ちたのか。今後の展開から目が離せない。
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