しかし最後には、むしろ理性の限界点(哲学者が戦線を張れるギリギリのライン。それを越えた世界は証明のしようがないので、哲学者がとやかく言える領域ではない)を認め、我々は自分たちが仕事の出来る(理性の)フィールドで働くしかないじゃないか、と論を締めくくっている。
執拗ともいえるスヴェーデンボリへの揶揄がなされた理由として、スヴェーデンボリに強烈に興味はあれども、真面目な学者の真面目な学問対象として、荒唐無稽なスヴェーデンボリ霊界観を論じることへの抵抗感と照れもあったのではないか。日本になぞらえて言えば、少し古いし時代も違うが、Mr.マリックやらユリ・ゲラーを西田幾太郎が真面目に論じるようなものか。
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