カントとエスパーの対決記『視霊者の夢』 大哲学者がスヴェーデンボリを徹底批判したワケ

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しかし最後には、むしろ理性の限界点(哲学者が戦線を張れるギリギリのライン。それを越えた世界は証明のしようがないので、哲学者がとやかく言える領域ではない)を認め、我々は自分たちが仕事の出来る(理性の)フィールドで働くしかないじゃないか、と論を締めくくっている。

執拗ともいえるスヴェーデンボリへの揶揄がなされた理由として、スヴェーデンボリに強烈に興味はあれども、真面目な学者の真面目な学問対象として、荒唐無稽なスヴェーデンボリ霊界観を論じることへの抵抗感と照れもあったのではないか。日本になぞらえて言えば、少し古いし時代も違うが、Mr.マリックやらユリ・ゲラーを西田幾太郎が真面目に論じるようなものか。

手紙の返事をもらえず悪感情を持った?

ただ、当時はまだ哲学であっても「神が死んだ」とは言えない時世であり、カントもスヴェーデンボリの「奇蹟」をけなしつつ、キリストの「奇蹟」だけは例外だというエクスキューズを入れている。しかしスヴェーデンボリの「奇蹟」を強烈に揶揄することで間接的に、「奇蹟」を前提とするキリスト教への批判をも行う意図を隠し持っていた可能性があり、その点ではスヴェーデンボリはむしろ「ダシ」に使われていたというべきか。

またもう一つ、結局カントは、スヴェーデンボリに出した手紙の返事をもらえなかったのであるが、ことによるとそのことも、カントがスヴェーデンボリに対して揶揄するような態度をとってしまった原因の一つかもしれない。

スヴェーデンボリはカントの手紙を非常に丁重に受け取ったが、カントの手紙に回答するよりは、質問を受けた全ての点について自分が書いた本に詳しく書いてあるので、そちらを読んで欲しい、とカントの代理人に回答している。カントより40歳近く年上で社会的地位も比べ物にならないほど高く、また多忙でもあったスヴェーデンボリにカントへの他意はなかったと思われるが、非常に熱心にスヴェーデンボリを探求していたカントにしてみれば、やはり面白いはずはなく、そのことがスヴェーデンボリに対するカントの評価点数を少々辛いものにしてしまっているようにも思える。

また、これについて以下のような別の解釈もあり得る。つまり、スヴェーデンボリの千里眼事件は客観的に見てインチキ不可能であり、この人物はひょっとすると本物かも、とスヴェーデンボリを信じかけ(学問的に揺らぎかけ)たカントが、スヴェーデンボリがカントへの「回答」であると豪語した書物『天界の秘義』を読んでその荒唐無稽ぶりに「なんじゃあこりゃあ!」と失望したからこそ、針が一気に逆ブレしてスヴェーデンボリへの舌鋒が鋭くなった、という訳だ。

後に巨大な体系が構築されたカント哲学の中心概念の一つが「物自体」である。「経験の背後にあり、経験を成立させるために必要な条件(wikipediaより)」、従って必要であるにも関わらず、最後まで人間には分からないもの(経験の背後にあるのだから、当然われわれ人間には経験出来ないというワケ)がカントのいう「物自体」である。つまり彼の哲学は全て、この「物自体」の手前の世界で展開されているのであり、カント自らが自分の哲学はこれ以上先に踏み込めませんよと宣言した境界線から先の世界が「物自体」なのである。

彼がこのような概念を提唱するに至ったきっかけの一つが、カントが解き明かすことが出来なかったスヴェーデンボリの「奇蹟」である可能性は高い。その意味では初期の手すさびのようにも見えるこの『視霊者の夢』は、カント哲学の決定的概念の萌芽ともいえる重要な作品でもあったのである。

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