日本株は、出遅れを取り戻している段階に過ぎない
だが、もう少しよく見てみよう。日本株はこの1年で歴史的な上昇を示したが、それは過去1年というタイムスパンだけでみた話である。下の図表を見ていただきたい。08年秋にはリーマンショックがあったわけだが、そこから半年後の09年春を起点とした、5年間の先進国の株式市場の動向である。ここから何が言えるだろうか?
09年3月を底に、米国では約5年間上昇相場が続き、リーマンショック前の株価を超えすでに2.7倍以上にもなっている。
欧州と新興国はそれほどではないが、それでも2倍近くまで株価が上がっている。日本株はこれらの動きにまだ追いついていない。こうした国際比較をすれば、過去1年で大きく上昇して上昇した日本株、過去5年でみると出遅れを取り戻しつつあるだけに過ぎないのだ。
そもそも、「国が違うから、日本と米国の株価は、単純に比べられない」と考える方もいるかもしれない。だが、98年~08年の10年でみると、米国株と日本株はほぼ連動して動いていた。つまり09年から12年の後半までのように、米国株などに日本株が全くついていけない状況が、特異だったのである。
もちろん、日本は11年3月の東日本大震災という大きな不幸があった。だが、問題は大震災だけではなかった。09年以降の世界的な株高局面でも、日本株がほとんど上昇しなかったことの理由としては、日本の経済状況に対する、「投資家の強い悲観」があったと考えられる。つまり、日本では、「デフレ」という異常な経済状況が永続するという「期待」を、多くの投資家が抱いていたことだ。
では、なぜ「投資家のデフレ期待」は生まれたのだろうか。それは、米国と日本の金融政策の違いがもたらしていたと考えられる。米国の中央銀行であるFRBは、景気回復が続く中でも、金利をゼロ近傍で維持しつつ、バランスシートを増やす金融緩和強化策を続けた。具体的には、QE1(量的緩和第1弾)からQE3(同3弾)まで打ち出し、バランスシートの規模を、3倍以上に増やしたのだ。
13年に入っても、金融緩和を続けている。この政策の是非について様々な見方があるが、実際には、積極果敢な金融政策が、さまざま逆風を相殺する形で、米国経済の安定成長が続いた。そして、米国株のパフォーマンスは、世界の中で最も良かった。
日本でも、アベノミクスの第1の矢として、安倍首相が金融緩和強化による脱デフレを訴えたことに始まり、13年4月に黒田新総裁率いる「異次元金融緩和」が実現した。ただ、この政策は、新体制になった日本銀行が、米FRBをお手本にして、明確なインフレ目標を掲げ、後追いした面も大きいのだ。
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