AI時代のいま「哲学者」は何を語っているのか 「語り方」そのものが語られている理由

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――タイトルが「語る」ではなく「語り方」ですが、その意図を教えてください。

たとえば、心とは何かを直接に問うのではなく、心を語るその仕方とはいかなるものであるかを問うことにしたのです。問いの形はさまざまあります。大きく分けると、what-questionとhow-questionすなわち、「何であるのか」を問う形と、「いかなるものであるのか」を問う形があります。

中島隆博/東京大学東洋文化研究所教授。 1964年生まれ。専門は中国哲学、比較哲学。主な著書に『共生のプラクシス-国家と宗教』(東京大学出版会、2011年、和辻哲郎文化賞受賞)、『ヒューマニティーズ 哲学』(岩波書店、2009年)、『思想としての言語』(岩波書店、2017年)など(撮影:尾形文繁)

20世紀以降、問いの形の重心は徐々に前者から後者に移ってきています。もう少し正確に言いますと、「何を」を問うためには、「いかなる仕方で」という方法への問いが洗練されなければうまく問いが立たなくなってきたということなのです。これを利用しまして、異なるディシプリンの研究者であっても、「いかなる仕方で」語るのかというレベルでは合意が重なり合いやすいのではないかと思ったわけです。

問いの対象に関しては、たとえば哲学者が「素粒子とは何か」と無防備に問うたとしてもあまり豊かな議論にはなりません。しかし、「素粒子を語るその語り方はいったいいかなるものであるのか」ということでしたら、少しは貢献できるでしょう。

このように、議論の場所を、対象から対象の語り方へ、つまり個々のディシプリンにおいて織り上げられている言説へと変更することで、対話の可能性が広がるわけです。そして、これこそが21世紀において求められている、知の新しいあり方の1つではないかと思うのです。

感情こそが「心」に関する主戦場

――「心」「存在」「言語」「倫理」の4つがテーマですね。

まず心に関しては、いまのAIを意識して設定しました。AI研究が発展する中で、興味深いのは、人間の感情の問題に入り込んできていることです。それをわたしはけっこう深刻に受け止めています。感情こそが心に関する主戦場だと思っているからです。

いままでの心の語り方というのはけっこう単純で、ある人なり、あるロボットなりが心を持つか持たないかというモデルで考えていました。このモデルを維持する以上、新しいものは出てきません。

ところが、AIの議論が感情に向かうということは、心の語り方が変わることであって、その結果、心の場所が変わることだと思います。

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