紅白歌合戦、「男女が競う立て付け」の違和感 「その年を象徴する曲を決める」に再定義を
21世紀は、いわば「ファンダムの時代」だ。ヒットチャートで首位になるようなアイドルやアーティストであっても(いや、むしろそうであればあるほど)、マニアックなファンに支えられている。そして、そうしたファンダムに向けてアイドルやアーティストの事務所は「ファミリー化」を打ち出す。1つのグループのファンは、ファンダム内での情報交換によって派生するグループや下の世代のグループのファンになる。ジャニーズ系、EXILEを筆頭としたLDH勢、AKBなどの48グループや乃木坂46などの坂道シリーズが象徴的だ。躍進著しいK-POP勢にもそうした面がある。
また、こうした芸能事務所の結束をもとにしたファンダムの形成とファミリー化だけでなく、特定のジャンルやカテゴリーのファンコミュニティが形成され、それがシーンの隆盛を支えていることも多い。たとえばビジュアル系やアニソンなどもそれに当たる。ロックフェスを中心に市場が形成され「邦ロック」というカテゴライズが言われるようになったロックバンドのシーンにもそうした面がある。演歌というカテゴリーも独自のファンコミュニティによって支えられている。
「アテンションの時代」
一方で、21世紀は「アテンションの時代」でもある。デレク・トンプソン(『アトランティック』誌編集主任)が著書『ヒットの設計図』で分析したように、人気や流行を生み出すのはいつの時代も露出の力だ。心理学に「単純接触効果」という言葉がある通り、多くの人には繰り返し接したものに好意度や印象が高まるという傾向がある。
ただし、今が20世紀と違うのは露出の量をコントロールできるのがテレビなどのマスメディアではない、ということだ。インターネット以降、発信される情報の媒体と量が桁違いに増えたことで、結果、価値を持つのは「アテンション=注目」となった。人々の興味を喚起する「話題性」が露出の量を左右することになったのだ。2016年のアメリカ大統領選の「トランプ現象」がその象徴である。
最初は泡沫候補にすぎなかったドナルド・トランプは、共和党の対抗候補であるジェブ・ブッシュとマルコ・ルビオと比べてテレビ広告にかけた宣伝予算は遥かに少なかったにもかかわらず、その振る舞いや発言が、悪い意味でも注目を集めたこともあり、露出の量で両者を圧倒した。
「ヒットの定義が変わってきた今、『紅白歌合戦』のような、きわめてマスに向けた発信をする番組はどうあるべきか」
そう問われたことがある。場はNHKの神原一光ディレクターが主宰するトークセッション「ジセダイ勉強会」。その質疑応答の際に、実際に「紅白」の番組制作に携わる方からそういう質問をいただいた。そのときに語ったのが、前述した「ファンダムの時代」と「アテンションの時代」という内容の話だった。
筆者の見る限り、特に2010年代に入ってからの「紅白」は、こうした時代の変化に対応して試行錯誤を繰り返し、進化してきているように思える。出演陣の選択を見ても、単なる知名度や大物歌手かどうかというよりも「ファンダムの大きさ」と「話題性」が軸になっているような印象がある。