夏目漱石には「人間の根本問題」が宿っている 養老孟司さんが考える「ほどほどの豊かさ」

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私は今回、『別冊100分de名著 読書の学校 養老孟司 特別授業 坊っちゃん』という本を書きました。私が中学校で授業をして、それをまとめた本です。この授業を通して子どもたちに伝えたかったことは、「学校では教えない、生きるうえで大切なことがある」ということです。学校や社会は、毎日学校に通い、効率よく勉強をしていい点数をとり、進学校に進むことをよしとしています。でも、人間の生き方というのは決してそれだけではない。

私なんて、子どものときは登校拒否でした。当時は病気がちでもあったので、病気で休むと、休み明けの学校に行きたくなくなる。友達は私が休んでいる間にいろんなことを学んでいるのに、自分だけあとから入っていくのが気恥ずかしかった。

世間では登校拒否というと、道から外れた人という認識があると思いますが、私は学校に行かないことを、おかしいとは思いません。逆に、自分で自立への道を歩んでいこうとしている印象さえ受ける。集団が頼りにならない、集団が歩んでいる道に違和感を覚えれば、自分で何とかするしかないでしょう。それが登校拒否として表れているにすぎません。

学校に行けないから不適応だというのは、おかしな話です。私たちが当たり前だと思っている「学校」という制度さえ、昔からあったわけではない。たかだか明治時代に入ってからのことです。それまでは、みなが同じ場所に集まり、同じことを教わるということはなかった。各家庭がそれぞれ個別に子どもを育てたり、それぞれの地域にある私塾がその土地や人に合った人間を育てたりしていた。イギリスの王家なんて、いまだに家庭教師を雇って教育しています。イギリスは日本とは違い、それまでの伝統が残っているんですね。

「ほどほど」に生きる

学校に行くにしても行かないにしても、あまり思いつめないほうがいい。奇妙なことに、人間はできることはすべてやろうとする悪い癖があります。できることをやらないことのほうが、かえって難しい。でも、私はどこかに必ず留保を置いておくべきだと思います。たとえば、自分が10できることは6か7くらいにしておく。

昔の人はこの「できるのにやらない」という感覚を持っていました。もしくは、「わかっていても言わない」「わかっていても知らない振りをする」という暗黙の了解があった。昔はこのことを「とぼける」と言っていました。近頃は「トボけ老人」なんていませんよね。たとえば、大人にはわかり切っていることを子どもが一生懸命話しているときに、「えっ! そうなの?」とか言ってとぼける。こうやって何事もほどほどにして留保を置いておくことが、世の中の豊かさにつながると思います。

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