しかし、その頃数年前に起きたリーマンショックの影響がプロレス業界にも響きはじめていた。
「出演するイベントのケータリングの質が一気に落ちました。ハッスルもスポンサーが離れて金銭苦に陥り、離脱するレスラーも現れました。いつの間にかレイザーラモンがメインになってしまっていました」
レイザーラモンでメインイベントを受け持ちながらも、人手が足りないためリングの解体作業などもしていた。HGさんも芝居の仕事が増えてきて忙しくなっていたが、試合も続けていた。身体に疲労がたまっていたのかもしれない。場外に飛んだときに、カカトを複雑骨折してしまった。その影響もあって、ハッスルは突然終わってしまった。
またレギュラー番組だった『ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!』も企画が終了した。
「急に収入が月5万~6万円までガクンと下がりました。それまでは結構余裕があって、外車を月8万円のローンで買ったりしていましたけど、売ってしまいました」
どんなにつらくてもハッタリをきかせて前に出る
仕事がなくなってしまったなら、新たな仕事を獲得するためにオーディションを受けまくるしかない。ただ、戦うための武器はあまり持っていなかった。
「HGの結婚式のときに丸坊主で真顔でスピーチしたんですが、ケンコバさん(ケンドーコバヤシ)に『お前は市川海老蔵か?』って突っ込まれたんですよ。それからしばらく市川海老蔵さんのモノマネをしていたんです。そのネタで戦うしかありませんでした」
そんな折、TV番組『リンカーン』で“あるある芸人”のオーディションが開かれることになった。歌舞伎のあるあるで出場することにしたが『勘三郎(中村勘三郎)さんのこと勘九郎(中村勘九郎)さんって言いがち』というあるあるしか思い浮かばなかった。
「その頃、市川海老蔵さんがお茶のCMに出てたんですよ。そこから連想して、石井明美さんの“CHA-CHA-CHA”を歌いながら『あるある言いたい』で引っ張って最後に1つだけあるあるを言おうと思いました。まさに寄せ集めのネタです。最後に“がち”をつけるのも、今やお約束になっていますけど、そのときはほんの少しでも笑いの要素を増やしたいというせめてもの足掻きでした」
苦し紛れのネタだったが、ディレクターからは、
「新しいね。普通あるあるネタは、面白さか、数を出せるかに拘泥するものだけど、言いたいけど言わないっていうのは面白い」
と言われた。
「もちろん自信はなかったですよ。でもまるで自信があるかのように披露することが大事ですね。どんなにわけわからんことでも、自信たっぷりにやられたら笑っちゃいますよね?
小学校4年のときに転校して、なめられないようにうそでハリボテ作っていた自分を思い出しました。どんなにつらくてもハッタリをきかせて前に出ることが大事なんですよ」
RGさんの“あるあるネタ”はその後アメトークなどで取り上げられ人気になり、現在も求められる定番のネタになっている。
ここ数年は細川たかしさんのモノマネでも人気が高い。髪型や歌い方をモノマネしていたが、今では細川たかしさんに公認してもらい“こぶしたかし”の芸名をもらっている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら