金銅社長は「日本人が梅酒という言葉を忘れる日を目指したい」と、意外な言葉を口にします。
今や競合他社が300を超えると言われる梅酒業界。その中で勝ち抜くには、チョーヤが梅酒の代名詞になるくらいの頑張りが必要だ、ということです。実際に、輸出先の東南アジアや中国では、梅酒という言葉ではなく「チョーヤ」という名前で通っているそうです。日本でも、店頭で「梅酒をください」ではなく「チョーヤをください」と言ってもらえるようにしたい、との思いからです。
梅酒作りができる体験型店舗をオープン
その思いを実現するため金銅社長が重要視しているのが、「ミレニアル社員」の活性化です。ここで、ミレニアルは千年紀の意味で、主にアメリカで1980年代から2000年代初頭に生まれた世代を言います。インターネット時代の申し子というべき人たちで、同社では20代から30代後半までの社員を意味します。伝統的な産業だからこそ、こうした若手の意見も積極的に取り入れていきたい、と考えているのです。
その1つの表れが、前述の「The CHOYA」ブランドです。開発に携わった主力は、30歳代のミレニアル世代でした。そしてもう1つの新しい動きが、「蝶矢(ちょうや)」という店舗です。京都の中心・錦市場の近くに、梅酒作りができる体験型店舗として、この4月にオープンしました。「これも、30代後半の社員の発案です。彼はこの企画に情熱を燃やし、私が3~4回稟議を突き返しても、再度提案してきました。ただ、実施するに当たっては実験店舗では駄目だ。店のオーナーとして儲かるビジネスモデルにしなさい、と言いました」(金銅社長)。
自分好みの梅酒が作れるということで、梅酒作りを経験したことのない若い世代に大人気。予約は順番待ちという盛況です。
現在のコーポレートスローガン「とどけ、梅のちから。」は、伝統と革新を合言葉に日本の梅を守っていこう、という社長、社員の熱い思いを代弁しています。そしてこのスローガン、専門家のコピーライターなどではなく、社員が考えたものだそうです。熟練社員への感謝とミレニアル世代の積極活用。こうした社員尊重の風土から自然と生まれたスローガンなのです。そして一方で、社員の手が及ばない商品宣伝は、1970年代初めから50年近く続けてきたテレビCMが担っているわけです。
1959年に梅酒造りを始め、1980年代に売れ始めるまで実に20年近くかかりましたが、その苦労が「地道に、コツコツと」というチョーヤの営業風土を培いました。その地道な営業努力で、「The CHOYA」を先頭にした「梅のちから」が、日本のみならず世界の食卓に「とどく」ことを期待しています。
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