「対米従属論者」が見逃している吉田茂の素顔 天皇制を守った吉田の愛国主義とは?

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「これに対して米国人のやり方は、とかく理想に走り、相手方の感情を軽視し勝ちである。机上で理想的なプランを立て、それがよいと決まると、遮二無二これを相手に押しつける。善意ではあるが、同時に相手の気持とか歴史的伝統などというものを、とにかく無視してしまう」

そのような独善的なアメリカの占領政策に不満を感じ、GHQと何度も衝突しながらも、吉田はアメリカとの協力の必要を理解していた。それは、親米的だからでも、対米従属だからでもない。自らの愛する日本の国体を守り、その独立を回復するためには、それが必要だと考えたからである。

吉田が目指した「自主独立」

吉田茂にとって、最良の「愛国主義」とは、日本の「国体」を守り、「自主独立」を回復することであった。吉田が目指した「自主独立」とは、単なる政治的なスローガンではない。米英両国を中心とした連合国との講和を実現し、国際法上の地位としての独立であり、主権の回復である。講和条約を結び、主権を回復しなければ、日本は日本人のものにはならないではないか。

それは、ただ単に「反米」を叫び続けるだけでは、とても越えることのできない高いハードルだった。吉田が求めていたのは、アメリカを悪しざまに罵って自らの鬱屈した感情を発散することではなかった。そのようなことは、日本の主権とも、自主とも、独立とも何ら関係がない。独立に至る道は一つしかない。連合国を説得し、講和会議を開き、彼らが講和条約に調印するように導くことであった。

そして、講和をめぐる厳しい交渉の中でも、吉田は決してアメリカの言いなりになっていたわけではなかった。それについて、外交史家の五百旗頭真は次のように論じている。

「もう一つ注目されるのは、吉田外交が親米の枠を明らかにし、いわば米国の懐に飛び込みながら、米国に対しイエス・マンではなく、なかなかの自律性と交渉力を示すことである」(五百旗頭真「国際環境と日本の選択」有賀貞・宇野重昭・木戸蓊・山本吉宣・渡辺昭夫編『講座国際政治4・日本の外交』<東京大学出版会、1989年>28-29ページ)

たとえば、GHQ民政局が日本の内政に介入して、より大胆な改革を強要しようとしたときにも、吉田は、それが日本の文化や伝統を破壊するものとしてしぶとく抵抗をした。また、ダレスが強硬に再軍備を主張した際も、それを拒絶して吉田は政府予算における防衛費をあくまでも抑制する政策を固持していた。

アメリカの要求に屈し、従属することは、吉田が求めたものではなかった。アメリカの圧力に抵抗したからこそ、GHQ民政局は吉田のことを蛇蝎のごとく嫌い、第二次吉田政権の成立をあらゆる手を使って阻止しようとしたのだ。

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