「対米従属論者」が見逃している吉田茂の素顔 天皇制を守った吉田の愛国主義とは?
ところが、かつて吉田が「世の共産主義者並びその亜流は、米国の帝国主義下に日本が隷属しているかの如く誣いるのが常である」と論じた状況は、現在でもほとんど変わってない。相も変わらず、それらの論者は吉田の行った政治が「対米従属」だと激しく批判して、また日米同盟を破壊しようとする。
そのような「対米従属」批判を続ける「共産主義者並びその亜流」が、資本主義国家であるアメリカとの提携を嫌い、中国や北朝鮮との関係強化を強く求めていることに留意すべきだ。
「永遠の国益」を求めて
国際政治学者として論じるならば、現時点で日米同盟を破壊することは、中国や北朝鮮などを喜ばすだけで、むしろ日本の「自主独立」を損なうことに繋がると考える。しかし一方で、吉田が評価した「英国流外交」を体現する一人、かつてのイギリス首相パーマストンの次の言葉も忘れてはならないと思う。
「わが国にとって、永遠の同盟もなければ永遠の敵もない。あるのはただ一つ、永遠の国益のみ」
国際政治学者の高坂正堯は、吉田外交を論じる上で、「新しい状況の認識によって動かされるよりは、昔からの信念に基づいて行動したように思われる」と論じながらも、同時に「正しい基本原則といえども、国内および国外の状況の変化に応じて、新しい具体的な表現形態を与えられなくてはならない」と述べている(高坂正堯「日本外交の弁証」同、297-320ページ)。
そして、このような「基本原則」と「状況の変化」との双方を総合する方法として、高坂は「日本外交の弁証」という表現を用いている。
これからの日本も、吉田外交と同じように、国際環境の変化と、基本原則という信念の保守という二つを融合させて、自らの進むべき針路を見いだしていく必要があるだろう。それを自らの意思と選択によって行うことが、真の「自主独立」なのである。
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