経済学は「人としての成長」を促進できるか 利他性や忍耐強さを身に付ける方法とは?

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ストーリーでは、タイムマシーンを使ってゼイネップは将来に行って、貯蓄をする意思決定をした場合と、しないという意思決定をした場合について、それぞれの結果を見ることができる。子供たちはゼイネップがそれぞれの場合にどう感じるか話し合い、自分たちならどう感じるか想像してみるように求められた。

このケーススタディを補完する活動も行われた。たとえばタイムマシーンを作って、目標設定に重要な通信簿の出る学期末のような将来の時にトラベルするふりをしたり、関連する絵を描いたりするような活動であった。これらの活動は、子供たちがより生き生きと将来を想像できるようになるようにデザインされていた。

アランらは、ケーススタディの話し合いが、「行動の違いによってどのように結果が違うかということと、将来を考慮する行動することを奨励する」ことから始まり、「忍耐強い行動をすべき」という直接的な助言から始まらないように注意したことを強調している。アランらのプログラムは、「忍耐強い行動をすべき」という思想を教えたのではなく、子供たちが活動を通して、自分たちで将来の自分のために忍耐強い行動を好んで選ぶようになっていった。

思想を習うよりも実行が必要

伊藤高弘 (神戸大学) /窪田康平 (現・中央大学) /大竹文雄 (大阪大学)の「隠れたカリキュラムと社会的選好」の研究では、小学生のときに参加・協力学習を経験したものは利他性が高くなったことが示されたことを、前回記事「行動経済学が解明を目指す『幸福』の正体」で紹介した。

この研究では、左翼的政治思想や人権平和・思想を学んでも利他性が有意に変化しなかった。このように利他性についても、思想を教えるよりも、子供たちが活動を通して自分たちで好んで選ぶようにする教育のほうが、利他性という非認知能力を高めることになると考えられる。

さまざまな倫理観をわかりやすく説明しているマイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』は、紀元前4世紀の哲学者アリストテレスの倫理観を紹介している。人格の成長のために美徳を身に付けるためには、思想を習うよりも実行が必要であることを「美徳を身に付けるのは笛の吹き方を習得するのと似ている」と説明している。本を読んだり講義を聞いて理論を理解しても笛を吹けるようにはならず、練習が必要になる。

アリストテレスの倫理学を代表とする徳倫理は、道徳的な美徳の獲得を重視する。これは、効用のような行為の帰結を重視する帰結主義と道徳的義務を重視する義務論と並んで、規範倫理学という人々の倫理観を理論化する学問の3大アプローチの1つなのだが、経済学では、ほぼ無視されてきた。人格的な成長をよしとする倫理観は徳倫理に関係が深く、筆者らはJapanese Economic Reviewに2015年に発表した論文(邦訳)などで徳倫理を経済学の政策評価に取り入れている。

前々回記事「超高齢化社会では『共同体メカニズム』が重要だ」で書いたように、今後の日本では共同体メカニズムの活用が必要になっていくだろう。経済政策はこれまで経済成長などで効用を高めることだけを重視してきた。だが今後は共同体メカニズムの活用を促進するために、忍耐強さや利他性などの人格的な成長にかかわる非認知能力の促進の観点も取り入れることが望ましいのではないだろうか。教育的な介入の効果の実証研究と併せて、徳倫理についての考察の長い歴史からの知見も、このために有用であろう。

大垣 昌夫 慶應義塾大学経済学部教授

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おおがき まさお / Masao Ogaki

1958年生まれ。大阪大学卒業。アメリカ・シカゴ大学経済学部博士課程修了(Ph.D.)。アメリカ・ロチェスター大学助教授、アメリカ・オハイオ州立大学教授等を経て、2009年から現職。2015年から2017年まで行動経済学会会長。著書に『行動経済学ー伝統的経済学との統合による新しい経済学を目指して』2014年(有斐閣、共著)など。学術論文をThe American Economic Review, Econometrica, International Economic Review, The Japanese Economic Review, Journal of Political Economy, The Review of Economic Studiesなどに多数発表。

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