正面玄関を入ってすぐのアトリエ棟は、鉄筋コンクリート造3階建て、それに続く住居棟は木造数寄屋造2階建てで、当時としては大規模な建物であるが、朝倉自身により入念に設計され、銘木がふんだんに使われている。この建物自体が「朝倉文夫」という芸術家の創意と美意識にあふれた1つの作品となっている。
門を入った正面のアトリエ棟の外壁は打ち放しコンクリートであるが、真っ黒に塗られている。これは朝倉自身のアイデアによるもの。現代ではよく見られるコンクリート打ち放し仕上げだが、昭和初期においてはかなり斬新だったはずだ。
玄関を入ってすぐのアトリエは3階までの吹き抜けで、その広々とした空間には代表作の数々が展示されている。
室内の北側には2階から3階部分にかけての大きな天窓が設けられ、南側、東側の計3面の窓からふんだんに自然光が入る。大型の作品のために、地下部分まで掘り下げられて上下する電動の昇降台が設置され、完成した作品を外部に出すための巨大な搬出口も設けられている。
アトリエのとなりには…
アトリエに続く書斎、応接間もドラマチックな空間だ。書斎には天井までガラス扉のある書棚が設えられ、ぎっしりと本が並んでいる。その大半は、朝倉の東京美術学校での恩師である岩村透の蔵書である。岩村の没後に散逸しそうになっていた貴重な美術関連の本を、自宅を抵当に入れてまでして買い取ったものだという。
隣の応接間には、人体の骨格標本が置かれているのにまず目を奪われる。朝倉に銅像を制作された人物の多くは、このアトリエ、応接間を訪れていて、この、芸術家ならではの創造空間に圧倒されたことだろう。昭和の人気横綱・双葉山などもここを訪れている。
応接間から廊下を伝っていくと、この館の中心的な位置を占める大池のある中庭が見えてくる。池の巨石は日本各地から取り寄せたものだという。
池の水には井戸水を利用。2メートルほどの深さのところもある。この池を囲んで、家族の居間、茶室、寝室といった部屋が並んでいて、このような豊かな水景を眺めて暮らした芸術家の日常がうらやましく思われる。
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