仮想通貨の疑問は「宋銭」を知れば腑に落ちる 経済は「歴史」から学ぶとよくわかる

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ただし、この交換はいつもスムーズにいくわけではない。相手が「コメは間に合ってるよ、何かほかにないの?」と受け取りを躊躇すれば、交換は成立しづらい。ここに、マネーをめぐる重要な論点がある。貨幣には、交換に際して「誰もが受け取ってくれる性質」があるのだ。経済学ではこの性質を「一般的受容性」と呼ぶ。「お金なら間に合ってるよ」と受け取りを拒む人はめったにいない。

マネーとダイバーシティの関係

奈良・平安時代はコメや綿布といったニーズの高い物品を交換手段として用いていてもあまり問題はなかったが、鎌倉時代になると、このやり方は行き詰まってしまった。その理由として、ビジネス面でダイバーシティが進んだことが挙げられる。

村落民は朝廷に嫌気が差し、しだいに地元の有力者を事実上のリーダーとして仰ぎつつ、このリーダーらは、有力貴族や大規模な寺院・神社とのコネクションを築き、村落民が朝廷への納税を避けて生活できるようにしていた。

そしてその頃の有力貴族や寺社は、さまざまな職人集団を従えていた。職人らは貴族や寺社の庇護を受けつつ、ビジネスの存続と拡大のため村落社会を遍歴するようになったのだ。なかでも刀鍛冶や鋳物師など、金属加工の職人が村落社会で活動したことで、金属を用いた調理具や農具が普及した。とりわけ農具改良は農業生産に時間面での余裕を与えた。それまで稲作に重きを置いていた村落民も、さまざまな加工品・加工食品を生産する機会が増える。

これは、「刀鍛冶イノベーション」とも呼びうる一大変革であった。陶器・漆器・畳・草履・酒・酢・みそ・納豆・豆腐・まんじゅう・和紙などのような、コメや綿布ほどにはニーズが高くはない物品の生産が進む。そうした物品でも積極的に交換することで各位の生計やニーズを成り立たせる仕組み、社会的分業が進展したのである。

さて、コメや綿布などのニーズの高い物品を交換手段に用いる社会のままでは、各人がそれら物品を何らかのかたちで用意しなくてはならない。そのために好きなものの生産に費やす時間が奪われてしまうくらいなら、みんなで何らかの貨幣を使ったほうが得策だ、というコンセンサスが12~13世紀にかけて徐々に成立するようになった。でも、そのときに人々が選んだのは国産の銭貨ではなく、中国王朝の金属貨幣、すなわち中国銭であった。

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