野田聖子氏がまたも総裁選に出られない根因

自分の欠点を補う努力をしてこなかった

しかしながら野田氏にも積極的に取り組んでいたことがある。それが「夜の活動」だろう。

前述の「仮想通貨疑惑」は野田氏の政治生命すら危機に陥らせたが、中でも朝日新聞記者による情報開示請求を金融庁が個人情報保護法の担当官庁である総務省にリークしたことは致命的だった。それを野田氏自身が漏らしており、しかも女性記者との「飲み会」で述べたのだ。

このように考えると、野田氏には総裁を目指す長期的な戦略を持っていないといえる。1995年9月の総裁選で小泉元首相は故・橋本龍太郎元首相に惨敗したが、この時の小泉元首相ははじめからドン・キホーテを自任して名を上げた。1999年9月の総裁選に出なかったのは、1998年7月の総裁選では3位に留まったため、より劣勢になると判断したからだ。そこには「およそ当選しないダメ候補」の烙印を押されないようにとの留意がある。

オーバーラップするのはこの人

そういう意味で2回とも推薦人を集められなかった野田氏には、河村たかし名古屋市長のイメージが重なる。

ジャカルタ・アジア大会のレセプションで愛知開催の2026年大会をPRする名古屋市の河村たかし市長(写真:共同通信)

河村氏のキャッチコピーも「総理を目指す男」だった。河村氏も衆議院議員時代に何度も民主党代表選に出馬しようとしたが、推薦人が集まらずに断念。2009年には名古屋市長に転身した。

河村氏が属した民主党はこの時に政権を獲るが、2012年に下野した時に党内で沸き起こったのが「河村待望論」だった。

「党が最大の危機にある時だからこそ、強烈なリーダーが必要だ」

何人もの民主党議員がこう述べたが、すでに河村氏は国会議員ではなく、民主党所属でもなかった。この時に代表に選任されたのは東京1区で落選し比例区で復活当選した海江田万里元経産相だが、河村氏なら海江田氏とその対抗馬だった馬淵澄夫元国交相を上回る支持を得て、党代表になっていた可能性は否定できない。河村氏は運が足りなかったといえる。

もしかしたら将来、「野田聖子待望論」も出てくるかもしれない。その時には野田氏はそれに応えられるよう、周囲の環境を整えることができるだろうか。お題目のように「なりたい」と口にするだけでは、総理総裁になれはしない。

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