野田聖子氏がまたも総裁選に出られない根因 自分の欠点を補う努力をしてこなかった

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2015年9月に行われた総裁選には、石破氏ははじめから出馬の意思を見せなかった。

石破氏は2012年の総裁選で、地方票で安倍首相をはるかに上回り、第1回目の投票で1番に躍り出ている。その実力議員が2018年の総裁選には出馬することが予想されていた。石破氏が出馬すれば反安倍勢力の大部分は石破氏に付くはずで、野田氏にとって一層困難な総裁選になる。当然ながら、さらに気を引き締めなければならない。

ところが野田氏にはそのための準備をしている気配がなかった。

致命的ともいえる外交音痴ぶり

2015年11月にBSテレビに出演した際に、南シナ海を侵奪しようとする中国について「南沙問題を棚上げにするくらいの活発な経済政策のやりとりとか、目先のメリットに繋がるような2国間の交渉とかをやっていかなくてはいけない。大人の知恵として」と頓珍漢な自論を述べた。

そのうえ、中国が南シナ海を埋め立てて軍事基地を建設していることについて「日本には直接関係ない」と断言。外交音痴ぶりを発揮している。これでは「外交の安倍」「軍事の石破」に対抗できるはずはない。

そもそもなぜ2012年の総裁選で安倍首相が勝ったのか。当時の民主党政権が福島原発問題など震災対策をうまくやりきらなかったことに加え、尖閣問題など領土問題についての姿勢が国民の目に「弱腰」と映ったことが主因だろう。この時の総裁選に出馬した5人の候補のうち、安倍首相が断トツで日本の国益を前面に出して主張していた。

圧倒的に多数の地方票のおかげで石破氏がトップに躍り出た第1回目の投票の後、しばしの休憩をはさんで第2回目の投票が行われたが、会場となった自民党本部で安倍待望論が徐々に湧き上がっていたのは事実だ。

野田氏が本気で総裁を目指していたのならそうした過去の総裁選の分析を行い、自分に足らない外交安保や経済政策、財政問題などに取り組もうとしたはずだ。

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