政治家の「逃げるが勝ち」がまかり通る危うさ 説明責任を果たさない政治家が多すぎる
10年ほど前に永田町でよく聞かれた言葉に「アカウンタビリティ」という言葉がある。「説明責任」と訳され、ちょうど公共事業が問題視されていた頃に、政権を獲る前の民主党を中心に主張された。
その具体的内容が曖昧だったため、「アカウンタビリティ」という言葉は政治の場ではいつの間にか使われなくなってしまった。しかし、筆者は、いまこそこの言葉を思い出すべきだと考えている。というのも、最近の政治家は、自分の行為について説明不足のまま逃げることが多発しているからだ。説明する能力に欠けるのか、説明する意思がないのか、それともその両方が欠如しているのか。
声明文を読み上げて終了
まずは2017年9月に民進党幹事長に内定しながら、その日の夜の弁護士との“逢瀬”が週刊誌に報じられたため、離党に至った山尾志桜里衆議院議員だ。
山尾氏が離党届を提出したのは9月7日夜の国会内。党本部で待機していた大島敦幹事長(当時)は院内に急行し、記者たちも慌ててそれに続いた。問題は夜の議事堂は出入りが困難で、記者章を持たない雑誌記者やフリーランサーはほとんど入ることができない点。さらに山尾氏は離党届を提出した後にもかかわらず“民進党の控室”内で声明文を読み上げ、質問しようとした記者を振り切って立ち去った。
なお山尾氏の“スキャンダル”を見て、安倍晋三首相は「今なら勝てる」と解散を決意したと言われる。ならばなおさら山尾氏は野党崩壊の端緒を作ったその責任を果たすべくきちんと説明すべきだった。
細野豪志元環境相も説明責任を果たしていないひとりといえる。
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