野田聖子氏がまたも総裁選に出られない根因

自分の欠点を補う努力をしてこなかった

その野田氏が早くから「総理を目指す」と宣言していたことは有名である。1993年の衆院選に29歳で初当選し、37歳だった1998年7月には小渕内閣で郵政相に就任。古賀誠元自民党幹事長や野中広務元官房長官など“重鎮”に可愛がられ、2003年には「総理になるためには派閥にこだわらず広く支持を集めたい」として所属していた番町政策研究会を脱会している。

大きな試練は2005年の郵政選挙だった。野田氏は小泉純一郎首相(当時)が提唱した郵政民営化に反対したために佐藤ゆかり氏を刺客に立てられ、なんとか岐阜1区で当選した後には自民党を離党せざるをえなかった。

翌2006年12月には復党が許されたが、それは安倍晋三首相の意向があったためだ。それゆえか、安倍首相に対抗して総裁選に出馬しようとすると、常に「恩知らず」との批判がつきまとう。

「集めても集めても切り崩される」

2012年12月に自民党が与党に復帰すると党の総務会長に抜擢されたが、2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では無役に転じている。この日は野田氏の54回目の誕生日で、誕生会も兼ねて毎年開かれるパーティーには来賓の数も少なかった。

おそらくこの時の悔しい思いが野田氏に総裁選出馬を決意させたのかもしれない。2015年のパーティーでは総裁選の出馬の話題とともに来賓の数もぐんと増え、顔を見せた国会議員も衛藤征士郎元衆議院副議長、石破茂元幹事長、故・鳩山邦夫元法相などおよそ20人。だが野田氏は20人の推薦人を集められず、出馬を断念している。

「集めても集めても、安倍陣営から切り崩される」。2015年の総裁選を前にして、野田氏に近い筋からこのような声を聞いた。だが筆者が取材する限り、野田氏が積極的に推薦人集めに動いた形跡は見えなかった。

この時に「中間派」と言われていたひとりの議員に聞いてみたが、地元で田んぼの草取りをしている最中だったその議員は「野田さんに頼まれれば推薦人になってもよいが、野田さんから連絡は全然ない」と述べていた。

さらにいえば、野田氏がこの時に真剣に動かず、その反省もしなかったからこそ、今回も20人の推薦人が集められなかったのではなかったか。

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