大人が思うより子どもには世界が見えている

亡くなった母が遺した「告白文」に息子は…

授業料は一般的な値段より少しだけ安い友達価格にしてもらい、代わりに毎回、夕飯を振る舞った。カイがやってくると、まずは全員で夕飯をとる。テレビを見ながら、だらだらと。でも誰かがたまに、思い出したように何かをしゃべったりもする。

食事を終えると、カイと息子は2人で息子の部屋に行って勉強をする。勉強をしているはずなのだけど、たまに大声でゲラゲラ笑う声が聞こえてくる。2時間後、勉強を終えた(という体裁の)2人が再び居間に戻ってくると、お茶を飲みながらまた一言、二言、話をする。

「勉強ははかどった?」と息子に尋ねると、息子は毎回ニヤリと笑いながらカイと目配せをして「うん、いろいろ教えてもらったよ」と言う。これによって勉強がそう大してはかどっていないことは明白だったけれども、2人がやけに楽しそうなので、これはこれでまあいいかと思い、カイにはしばらくの間、うちに来てもらっていた。

この時期にやっと、カイについて少し詳しく知ることになった。彼の祖父が、実は直木賞も受賞した有名作家であったこと。そんな祖父の娘であるカイの母親もまた、作家であったこと。作家であった母親は、1年前にがんで亡くなったこと。カイが子どもの頃に母と離婚した父は、現在海外に住んでいること。カイは、自分自身に関するそういった話をいつも、なんということもないかのように、淡々と話すのだった。

あるとき、カイの母親が生前、文芸誌に発表していたエッセイが書籍化されることになった。カイの母親と父親が出会って、結婚して、カイが生まれて、離婚する、それらの経緯がつづられているという。

そこには、身に覚えのある内容が……

できたてほやほやの本をカイがうちに持ってきてくれたので、何げなく読みはじめて、たちまち動揺した。というのも、本に書かれているあらゆるエピソードは、当然ながら著者であり、カイの母親固有のものであるはずなのに、たまにちらりと垣間見せる著者の本音、その一つひとつに、生々しいまでに自分の身に覚えがあったのだ。

ふとしたきっかけで出会った2人が勘違いから夫婦になって、ふとしたことで関係の形が変わって、それまでどおりではいられなくなって。だったらすぐに離婚してしまえばいいのだけれども、なんだかんだ言い訳しながら、簡単には離婚届を出すことができない。

"一冊まるごと、いいわけの本を、書きたいと思った"
"こんなヤツ、まったく、たよりにならない、と、思うようになってからも、たよっている。だから、離婚できずに、いたのかな"
"そもそも、今、離婚する気は、あるんですか、と、聞かれた。あるけど、タダじゃ、いやだなあと、思っているんです"
〈引用:『ちくわのいいわけ』(愛育社/田中りえ 著〉

こんなやつ、まったく頼りにならないと思ってからも頼ってしまい、離婚するのはいいがタダじゃいやだと思っていた、そんな相手と私がついに離婚を果たしたのは、まさにこの本と出会う半年ほど前のことだった。

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