「でもみんなお互いに不信感はあるし、すごく疲れていた。そこで、僕があるとき『大阪に行かないか?』って言ったんですよね。学校の授業を抜け出して、大阪へ行こうと。なんで大阪だったかはもうわからないけれど、『ここじゃない、どこかへ』みたいな。
僕は本気だったんですよ。だから千円札をもっていった(笑)。最終的に集まったのは4人で、僕がいちばん金持ち。あとはみんな、100円とか200円とか出して、『どうやって行くの?』って。それで、みんなで西へ向かって歩き始めました」
思いもよらない展開です。笑ってしまいましたが、なんだか涙も出そうになりました。こんなにも頓珍漢で、しかも一生懸命な行動は、大人にはとれません。新たな地を求めて、西へ向かって歩く中学生4人組。しかし当然のこと、学校では大騒ぎとなり、石井さんらはたちまち家に連れ戻されることとなったのでした。
「その日の夜中、私が泣きながら帰ってきて、母も何か察したんですかね。『明日、学校に行くか?』と聞かれて、私が『行けない』と答えた。
そのとき初めて、自分が学校に行きたくないんだ、ってわかったんです。それまで、私は一度も学校に行きたくないと思ったことがなかったんですよ。学校がつらいんだ、ということさえわからなかった」
学校には、絶対行かなくてはいけない。いまも多くの人はそう信じていますし、当時は石井さんもそう信じていたのでしょう。そのため「行くか?」と母親に聞かれるまでは、「行かない」という選択肢があることにすら、気づかなかったのかもしれません。
このとき母親は、ひとまず2週間は学校を休ませて、そうすると冬休みに入るので、その後の3学期からまた学校に行かせればいい、と考えていたようです。しかし石井さんは、その後二度と、学校には戻りませんでした。
国も学校以外の道を認めている
石井さんが日本のフリースクールの草分けである「東京シューレ」を知ったのは、学校に行かなくなる直前の頃でした。地元の本屋さんでたまたま、シューレのことを書いた本を見つけたのです。その本を読んで初めて「世の中には学校に行かない人もいて、こういうところに通う人もいる」と知った石井さんは、「ここ(東京シューレ)に行きたいんだ」と母親に伝え、入会することに。
初めてシューレを訪れたとき、石井さんは代表の奥地圭子さん(『不登校新聞』の代表でもある)から、「ここに来たいのは、あなたの意思ですか?」と聞かれ、衝撃を受けます。それまでの人生で、こんなふうに本当にフラットに、「自分の意思」を問われたことはなかったからです。
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