とにかく「親をがっかりさせないために」、私は法学部に進もうとしたのですが、それにはまったくの興味がないことがわかり、留年して教養学科(科学史科学哲学分科)に転学しましたが、「哲学なんぞに進んだら軽蔑されるだろう」と思って、哲学科ではなく物理学の大学院に進もうとして、これまた失敗。
親をがっかりさせないことを考えるとうまくいかない
「やっぱり哲学しかないや」と居直って再入学しても、結局、修士論文が書けずに退学し……という具合に、何をしても失敗だらけ。なぜなら、私が何かを決めるにあたって、完全に異なった2つの要因があるからで、第1は、親をはじめとして親戚や知人に軽蔑されないような選択肢があり、そして第2に、自分のしたいことという選択肢がある。そして、いつも第1と第2がぶつかり合ったときに、第1を優先させようとするから、どうしてもうまくいかないのです。
哲学科の大学院に進んだときでも、私は確かに哲学をしたかったのですが、ひどく大変そうで、しかも無味乾燥なことこのうえなく、哲学研究者にはなりたくなかった。でも、人聞きがいいから、哲学の大学教授にはなりたかったのです。これ以上の矛盾がありましょうか? なぜなら、現代日本、いや現代世界においても、哲学研究者でなければ哲学の大学教授にはなれないからです。
法学も、物理学も、哲学もダメ、「自分には知的職業に就く能力はないのだ」と見限っても、「プライドが人一番高く」て、今さら会社に入る気はない。そこで、「ぐれて生きよう」と思い立ち、予備校教師に収まりました。予備校教師は、(少なくとも当時は)はっきりした敗者の臭いがしたからです。その敗者をあえて自分が選んだという「プライド」で、生きていけると思ったからです。こうして、当時の心境は、たぶん相談者と似ていて、「とにかく自分のプライドを維持させる」という一点で生きていたと言っていいでしょう。
長々と自分のことを語ってきましたが、何を言いたいかというと、「私は相談者の気持ちがよくわかる、わかりすぎるくらいわかる」ということです。とはいえ、私は予備校講師としても、まるで人気がなくダメでした。そこで、私は「とにかく自己欺瞞でも何でもいいから、プライドが保てるにはどうしたらいいか?」とさらに考え続け、「そうだ、ほかの人と同じ尺度で測ることができないことをすればいい」という結論に達しました。
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