関東進出!食べ放題焼肉「ワンカルビ」の正体

関西・九州の名物チェーン、強さの秘密とは?

――実に画期的な業態発想ですね。

この店は非常に繁盛しました。

私は1995年に三井物産を退社してダイリキに入社して店舗開発を担当させていただきました。この業態がはやっているのでどんどん出店しようということになったのですが、大阪の繁華街はキタとミナミしかありません。出店場所の範囲が限定されるし、ビルのオーナーさんも煙が出るので焼肉店が出店することを歓迎しない。当社の焼肉店は無煙ロースターを使用しているので電気・ガスのスペックも非常にかかる。大きなダクトを8本くらい置く必要があるし、室外機も相当数必要です。このようなさまざまな要因から都心に出店することが困難だったのです。

そこで着眼したのが郊外でした。郊外であれば、われわれのスペックで焼肉店をつくれます。その1号店を1998年12月に神戸・西区の伊川谷に出店しました。

この店が大ヒットしました。それは客単価2500円の焼肉店とはファミリーにとっても大歓迎される店だったからです。そこで一気に出店を加速させていきました。

そのためにわれわれはあるものを犠牲にしました。それは技術です。技術は育成に非常に時間がかかります。急速出店には間に合わないのです。

そこでそれまで肉の鮮度にこだわり店内で手切りにしていたものを、大手メーカーにアウトソーシングして肉をカットしてもらいフローズンで各店舗に配送し、店内では皿の上に並べるだけ、という仕組みにしました。こうして急速出店ができるようになりました。

BSEで大打撃の中、2つのプロジェクトが動き出した

そんな中、2001年9月に日本、2003年12月にアメリカでBSEが発生しました。これによって特に焼肉店は大きな打撃を受けました。当社は当時30店舗を展開していましたが3分の2が赤字となりました。

食べ放題料理のイメージ(写真:商業界ONLINE)

そこでマイナーチェンジを行っていくのですが、なかなか改善できず、他店との差別化ができてないことで価格競争に巻き込まれていきました。

そんな中、たどり着いたのが2つの選択でした。

それは「原点回帰」と「食べ放題の導入」です。

そして、当時社長だった現会長が陣頭指揮を執り、生き残りをかけた2つのプロジェクトがスタートしました。

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