「1兆ドル」へ駆け上るアマゾンの意外な素顔 ジェフ・ベゾスは懐が深い経営者なのかも
このKPIの数値を基にアマゾンでは毎週地域単位、グローバル単位で会議が開かれる。その会議では具体的な向上策のみを話すといわれている。各KPIには責任者がいて人事考課などにも大きく影響する。恐ろしいのは、このKPIの目標管理を0.01%単位(通常は0.1%単位)でしていることだ。
なぜ目標を達成でき、あるいはできていないかを考え、日々の取り組みの改善につなげる。日本では楽天がこれをまねたが3カ月くらいで自然消滅したとか。
これも、とりあえずベータ版を作り、実際に動かしてみて、改善点を見つけ出して、プログラムを修正するというプログラマーの手法と一緒だ。そのうえで、すべてのいいところを合体させて最終製品にするのだ。プログラマー出身のベゾスの面目躍如の経営手法だ。
起業時から「何でも販売するサイト」を目指していた
その歴史についても少し振り返っておきたい。ベゾスは、ニューメキシコ州生まれ。プリンストン大学で電子工学とコンピュータサイエンスを専攻して、先物取引などを専門とする金融機関で、年金基金向けの情報システムを開発した。
その後、ヘッジファンドに転じてここでもシステムを開発、副社長になるが、ネットビジネスの将来性を信じ独立する。ベゾスはよく「金融業界からIT業界に転じた」と経歴を語られるが、金融の実務を担当していたわけでなく、システムやネットワーク構築のエンジニア出身だ。
1994年にインターネット書店を起業し、翌年7月16日に「amazon.com」のサイトを立ち上げる。取り扱ったのは書籍がスタートだが、ベゾスは起業時から「何でも販売するサイト」を目指していた。書籍を扱ったのは、ただ腐らないからである。また、ネットで書籍を販売するサイトも史上初だった。
1日当たりの注文件数は当初は5、6件だったが、ネットの隆盛の時期にぴったり重なり、あっという間に大きくなる。10月までには1日100冊に達し、それから1年も経たない間に、1時間での注文件数が100冊に達した。
アマゾンの社名は世界最大の河川であるアマゾン川に由来するが、決まるまでには紆余曲折があった。
ベゾスは当初、呪文のような響きを持つ「Cadabra(カダブラ)」という名前を社名に使おうと考えていた。だが、アマゾンの最初の弁護士であるトッド・タルバートが「Cadabraの発音は解剖用の死体を意味するCadaver(カダバー)に似ている。電話越しに言われた場合には判別が付きにくく、印象がよくない」と反対し、ベゾスを説得した。
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