鈴木敏夫氏「ひっそり生きたほうが幸せです」 「認めてほしい」という思いを捨てませんか?

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宮崎駿監督と高畑勲監督の2人を乗せて何かやるなんて、バカなことはやりませんよ(撮影:尾形文繁)
禅とジブリ。一見関係なさそうな組み合わせがすてきな化学反応を起こした。7月に刊行されたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの著書『禅とジブリ』(淡交社)では、『もののけ姫』『火垂るの墓』などジブリの名作を禅で読み解く。芥川賞作家で福聚寺住職の玄侑宗久氏、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺氏、龍雲寺住職の細川晋輔氏との対談が掲載され、ジブリ作品を題材に、この1冊を読み終えれば禅の教えが自然と身に付く。鈴木プロデューサーに禅とのかかわりについて聞いた。

頭ではなく体で覚えた仏教

――鈴木さんが仏教に接したのはいつごろですか。

僕は中高一貫校の東海学園で学びました。仏教校ですから、1年に何度も京都や奈良に連れていかれる。それが丸6年間続きました。最初は何の興味もなかったのですが、2年経ち、3年経つうちに仏教を身近に感じるようになりました。

たとえば夏の合宿で昼や夜の食事のときには、「本当に生きんがために、この食を食します」と言わないといけない。南無阿弥陀仏の勉強もやらされました。そういうことを日常的にやっていると、頭ではなく体で覚えるようになってくるのです。

――大人になってから禅を学んで、人生の考え方が変わったという話をよく聞きますが、鈴木さんは子どもの頃から禅が体に染み付いていた?

そうですね。自分が未発達なときに禅に接しましたから。僕らの学校は浄土宗ですが、仏教というくくりでは禅も近くにあって、坐禅も学校でやりましたよ。

――東海学園は男子校です。仏教校であるより前に男子校であることのインパクトも強かったのでは?

そうです、男子校は独特ですよね。こういうことがありました。高校2年になると、勉強ができるかどうかを基準にA群とB群に分けるのです。さらにB群も高校3年になると、勉強がどうにもならない生徒を1つのクラスに集める。僕も勉強していなかったのでそのクラスに放り込まれた。そのクラスは50人くらいいるのですが、なんと留年生が20人もいて、最高齢が24歳だったんですよ。

そのクラスの中で生きていくのは結構大変でした。最初に中間考査があって、忘れもしない英語のテストですよ。1時間50分かけて答案用紙に答えを書いた。そうしたらある同級生がいきなり寄ってきた。彼は柔道の全国大会個人戦で2位になった男なのですが、僕に「鈴木、悪い!」って言ったんですよ。何かなと思ったら、「答案を交換してほしい」と。

そいつは、すぐに僕の答案を持っていって、その場で僕の名前を消しゴムで消して自分の名前を書いた。で、そいつから渡された答案用紙を見たら答えがめちゃくちゃで、名前も「鈴木敏夫」と書いてある。

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