鈴木敏夫氏「ひっそり生きたほうが幸せです」 「認めてほしい」という思いを捨てませんか?
そいつが言ったせりふは「鈴木、悪い!」に続いて「卒業できないんだ」と。それを聞いた瞬間に僕は覚悟を決めました。僕がここで答案を交換しないと彼は人生において大変な目に遭うわけですよね。「しょうがない。これから1年の間にいろいろなテストがあるが、こいつの答案を全部書こう」と、一瞬で決めました。
そして、筆跡を変えて答案を2枚書くということを丸1年間やりました。彼は卒業できましたが、今何をしているかは知りません。でも、そのとき僕が拒否していたら、僕の人生はどうなったんだろうと考えます。たぶん、今みたいな人生は歩んでいない。全然違う人になっていたでしょうね。
――「受け身」の人生ということですね。でも受け身ということによって、誰かを助けているわけですね。
結果としてはそうですよね。だから僕は、大学に行ってからも人のレポートを書くわ、試験中にいろいろな人の答案を書くわって、やりまくりました。なぜって、言われますけどね(笑)。でも、頼まれたことはやろうということが僕の人生になりました。無理やりくっつけると、仏教の考えとつながるところがあるかもしれません。
誰かが手伝わないといけないから、仕方なく
――鈴木さんは受け身というよりも、宮崎駿監督や高畑勲監督をうまく乗せて、仕事をしてもらう、能動的な人だと思っていました。
2人を乗せて何かやるなんて、バカなことはやりませんよ。だって僕、できることならやりたくない(笑)。でも、まあ、2人には大きな違いがあって、宮崎駿はもう自分でどんどん作りたい人。でも1人では作れないから、誰かが手伝わないといけない。それでしょうがない、仕方がないから手伝うというのが僕。高畑勲は、つい先だって亡くなってしまいましたが、自分から「これをやりたい」となかなか言わない人でした。
言わないけれど、僕の周りをうろうろする。そうするとしょうがないから、「じゃあ映画作ろうか」と。でも、いざ作ると、2人ともお金をいっぱい使うんですよね。そうすると回収しないといけない。それで仕方なくやってきたというのが、僕の人生です。積極果敢にやったことは一度もない。「がんばれ」と言ったこともありません。
――アドバイスもしない?
自分から言うことはありません。相手が聞いてきたときだけ受けるんです。僕は、日常的にも自分から人を誘ってどこかへ行くということは、まずありません。昼飯や晩飯もそうです。
――『禅とジブリ』では、ジブリ作品と禅の教えの共通点がいくつも指摘されています。宮崎監督や高畑監督は、仏教に関心があったのでしょうか。
2人はあまり関心がないんじゃないかな。本で指摘されているところは、僕ではなく、細川住職さんです。僕はそれを聞いて「へえ、そういう見方があるのか」と、感心したほうです。だから、僕のほうから禅とジブリを結び付けようという考えは毛頭ありませんでした。
この本についても、自分から禅とジブリをテーマにした本を出したいと思ったわけではなく、編集者からの提案です。でも僕が仏教とか禅に興味があることはほとんど公表していません。どうして知っていたのか、いまだに謎です。
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