日本人が知らないあの「ロブション」の素顔 日本から学んだフランス料理界の巨匠
その後、ロブションは日本で次々とレストランをオープンさせた。最初の店は、東京・恵比寿の「タイユバン・ロブション」(2004年に「シャトーレストラン ジュエル・ロブションとしてリニューアル)。当初、彼は本物のシャトーをフランスから日本に持ってこようとしたが、不可能だと悟って、故郷から石や屋根瓦を持ち込んだ。数年後には、彼の店としては最も独創的なものとなった「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション 六本木ヒルズ」を開いた。
ラトリエの特徴はなんといっても、オープンキッチンにある。シェフやスタッフと、客がカウンターを挟んで会話をしながら食事を楽しむ――。後に世界中で成功したコンセプトの第1号店となったのは日本だ。「ラトリエでいつもすごいな、と感じるのは空調。厨房ととても近いのに、絶対ににおいが漏れてこないのです」と、ミシュランガイドの元トップで、2007年に初の東京ガイドを創刊した、ジャン=リュック・ナレは話す。
ラトリエのコンセプトは寿司屋で得た
ロブションはもともと、料理を教える「先生」のつもりで日本に来ていたが、気づいたころには自身が生徒となり、自分が教えたよりも日本で多くを学ぶこととなった。彼は日本で、自分自身の考えと近い哲学を見出したのである。それは、フランス料理の大部分が素材を作り替える技術に重きを置いているのに対し、和食は素材に忠実であろうとする点だ。
実際、和食の調理法はロブションのやり方となじんだ。彼は洗練されたレシピを作るよりも、単純でありながら完璧な料理を作ることを好んだ。彼のスペシャリテといえる「じゃがいものピュレ」がいい例だろう。ロブションが亡くなった際、フランス料理評論家ペリコ・ルガッスはこう彼を追悼した。
「彼にとっては素材のエッセンス、素材の起源、素材の季節感は重要なことだった。彼のレシピは素材の真実を取り戻すことを目指していた。彼の料理を食べれば、その料理がどこから来たのかを突き止めることができるはずだ。シェフは自分の素材を裏切るべきではない」
顧客とのインタラクションを重視するということも日本で学んだことだ。シェフだったころ、ロブションは、キッチンとダイイングルームを厳密に隔離していた。どちらかと言えば内気で、長年キッチンにこもって客と会うことはなかった。
が、「すきやばし 次郞」のような寿司屋で食べているうちに、ロブションは客と向かい合うことで、調理が単なるサービスではなく「交流」になりうるということに気が付いた。こうして、ラトリエに関するアイデアを見出していった。ラトリエのカウンターは、寿司屋のカウンターをモデルにしている。その幅は男性が握手をする腕の長さほどで、これが会話するのに理想的な距離だと考えられている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら