日系ホテルの雄・帝国ホテルの130年続く流儀 受け継がれる渋沢栄一の「創業の精神」

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近代建築三大巨匠のひとり、フランク・ロイド・ライト。建築した新本館は「ライト館」と呼ばれた(写真:帝国ホテル)

開業以降、最初の大きな節目となったのが、1923年(大正12年)の新本館落成だろう。設計したのは、近代建築三大巨匠のひとりと言われるフランク・ロイド・ライトで、新本館は通称「ライト館」といわれた。

帝国ホテルの総支配人だった林愛作が、ニューヨークで古美術商に勤めていた時の顧客だったライトに設計を依頼したことで実現したもので、「帝国ホテルの歴史のなかでも、この2人の存在は非常に大きい」(定保英弥社長)。

近代建築三大巨匠のひとり、フランク・ロイド・ライトが建築した、通称「ライト館」(写真:帝国ホテル)

このライト館の落成当日、まさかの事態が発生する。ちょうど開業披露式典のために準備を進めていた最中に関東大地震が発生したのだ。

日本の地域性を考慮に入れたライトの設計

しかし、地震が多いという日本の地域性を考慮に入れたライトの設計により、大きな損傷もなく震災を免れた。首都東京に大きな被害が出る中、震災に耐えた帝国ホテルは避難してきた被災者を受け入れ、宿泊客に対しては客室を無料とした。また、各国の大使館や新聞社・通信社などに仮事務所のスペースも提供した。

それから90年近くが経過した2011年に発生したのが東日本大震災だった。この日はくしくも開業120周年感謝の集いが開催されていたという。

ちょうど、帝国ホテルの目の前の日比谷公園が広域避難場所となっていたが、夕方になると気温も低下。そうした中で、空腹と寒さに耐える約2000人の帰宅難民のためにロビーや宴会場を解放し、毛布や水のほか、乾パンなどの保存食を提供した。

帝国ホテルのロビー。東日本大震災の際には、被災者に解放された(写真:帝国ホテル)
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