異色の社長が導いた「松竹」復活への軌跡 これまでの苦節や挫折を迫本社長に聞いた
――その司法試験の結果はどうだったのですか。
良いところまではいくのですが全然受かりませんでした。本格的に勉強を始めてからも論文試験が受からず、また子供が生まれたのですが、脳性まひで障害があり苦労は本当に多かったです。世界中の不幸が自分に襲いかかっているんじゃないかという感じでした。
――どのくらいの期間がかかったのですか。
本格的に勉強し始めたのが27歳で合格したのが37歳ですから10年です。
――(モニターに映っている)この写真というのは?
これは合格したときの仲間ですね。まわりのみんなは私より10歳くらい若いですね。
就職先の事務所探しで傷ついた
――試験に合格したあと、すぐに弁護士活動に入られたのでしょうか。
司法研修所で2年、当時は修養しなくてはなりませんでした。それで就職先の事務所を探すために事務所訪問をしました。
弁護士事務所に行き様子をみて、そこの先生方と食事をするのが普通のパターンなんですが、私の年齢を見た途端に今日は食事なしでこれで終わりという感じでした。結構、傷つくんですよね。
弁護士の事務所は若い人が欲しいので、私の年齢を見るとそんな対応でした。本当に事務所の横の非常階段で足をかかえながら、いじけて、行くのやめようかなと思いながらも一生懸命、事務所訪問をしていたのが思い出としてあります。
――結局、ご縁はあったということですよね。
そうですね。当時、三井安田法律事務所というところが拾ってくれました。
――待望の弁護士の活動を始めてからはどうでしたか。
本当に働くことがうれしかったのでめちゃくちゃ働きましたね。大体、朝から夕方の時間までは電話と会議で終わります。
それからみんなと食事に行ったりカラオケをしたりして、そのあと戻ってきて8時か9時くらいから仕事を始めます。のってくるのが12時くらいで、そうするとやめるのがもったいないので3時、4時くらいまで働きました。
松竹に入ってからも忙しかったのですが、12時くらいに自宅に帰ると、家内に本当に人間らしくなったと褒められたくらいです。