学校は死刑台"それせか"が歌う子どもの世界 悪ノリに見せかけて殴られ、前歯を折られ…

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――不登校になったのはいつごろですか?

中学生になってからでした。

ただ、家にずっといたわけでもないんです。学校にも家にも居場所がないから、親には内緒で、外をふらついてました。学校には「カゼで休みます」と自分で伝え、家族には学校に行くふりをして家を出るんです。学校では家にいることになっているし、家族のなかでは、学校に行っていることになっている。その時間だけ、みんなの意識のなかから本当の自分が消える感じがして、めちゃくちゃ自由な時間でした。

ただ、たまに泣けてくることはありましたね。「悲しい」という気持ちではなく、なんだかよくわからないけど体の奥のほうから涙が出てくるんです。それでも「何もガマンしなくていい時間」は自分にとって大切だったし、必要でした。 

ちなみに、学校に電話するときは、ホームルームの時間をねらうのがオススメです。その時間はすべての先生が教室にいるから、用務員さんとかが電話に出てくれる。だから「今日休みます」って言いやすいんですよ(笑)。

(写真:不登校新聞)

状況が少しずつ変わっていったのは、高校生のときにバンドを組んだことからでした。高校でも僕はバカにされていて、学校は行ったり行かなかったり。行っても音楽室でずっとギターやピアノを弾いていたんです。そんななか、同級生に「空気の読めない奴」がいました。そいつが、ずっとひとりだった僕をバンドに誘ってきたんです。最初は断っていたんですが、ついに折れて高校2年のときにバンドのメンバーになりました。

バンドを続けたことで起きた一番大きな変化は、「僕がバカにされたら悲しんでくれる人」の存在に気づいたことです。「お前がバカにされてんの、すげーイヤだわ」っていう思いが、言葉にしなくてもひしひしと伝わってくる。そんな人が僕のそばにいる。それが何よりもうれしかったんです。そこから、今の自分がはじまっていると思います。

本当をそのまま

――曲づくりにおいて、篠塚さんがこだわっていることは?

僕が大切にしていることは、曲を通して「本当のことを言う」ということです。いじめられていたときの気持ちや、自分を責めていたときの気持ちをそのまま曲にしています。たくさんの人に伝わるような音楽じゃないかもしれません。でも僕は、自分と同じ気持ちを持っている人が共感してくれれば、それでいいと思っているんです。

だから今日のように、自分の音楽が誰かに伝わって、会いに来てくれるのは本当にうれしい。いつも無人島で救命信号をあげるみたいに「オレはここにいるよ、誰か気づいて」と思いながら歌っているんですが、気づいてくれたんだなって。小中学生時代の自分に、「いつかこんな日がくるよ」って伝えてあげたいぐらいですよ。

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