オムレツはあっという間に完成した。絵に描いたように美しいオムレツが皿に移される。思い切ってフォークを刺すと、中から半熟の卵がとろっとこぼれ出てきた。こんな風に仕上げるためには、細かくフライパンを揺するテクニックに加えて、わざわざ自家用を持参するほど、こだわりのフライパンを使うことが欠かせないらしい。
「誰に教えてもらったの?」
オムレツを頬張りながら尋ねると、「おじさん」とSが答えた。親戚?と続けて尋ねるも、Sは「ううん」と首を横に振る。
話によると、Sが“おじさん”と呼ぶその人は、Sより20歳近く年上、50代後半の男性。かれこれ10年にも及ぶ付き合いで、親戚でもなければ、恋人であったこともないという。にもかかわらず、Sがまだ独身だった頃の一時期、不安定な暮らしをしていたSに、必要に応じて泊まる場所や、温かい食事を提供してくれた、大切な友人の一人なのだという。
「おじさんは本当に料理が上手なの。でも独り身だからね。食べてくれる人がいると嬉しいんだよ。たまに遊びに行くと、そりゃもうたくさんご馳走を作ってくれるの」
Sが今でもそのおじさんと会っていると言うので、私はドキッとして尋ねた。
「それってやっぱり浮気?」
するとSはおかしそうに笑いながら答えた。
「全然違う。そういう関係じゃないんだよ。一緒に混浴に入ったって、一枚の布団に並んで寝たって、何もないんだから」
普通ならとても信じられないような話だけど、Sに限って言えば、まあそういうこともあるのかもしれないなと思わされた。何しろ彼女はお客さんの天才だ。きっとこれまでにもさまざまな家で、一般にはあまり理解されないような、特殊な関係性を築いてきたのだろう。
居場所のなかったS
不思議なことにそんなSは、どちらかと言えば保守的な家族観の持ち主でもあった。たとえば昼間、一緒に過ごして、どうせならこのまま夕飯でも食べようということになったとき、Sは必ず一度、自分だけが家に戻り、律儀にも夫の夕飯を用意してから、再びわが家に戻ってくるのだ。
旦那さんだって大人なのだし、Sだってそう頻繁に家を空けるわけでもないのだから、たまには外で食べてきてもらうとか、お弁当で済ませてもらうとかいうわけにはいかないの?と私が尋ねると、夫が良くても、自分自身がそれを許容できないのだと言う。そもそもSは普段から、外食や出前をほとんど使わず、家族の食事はほぼ毎食、自分で作っていた。
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