キャップを脱いだSの顔をちゃんと見るのは、その日が初めてだった。ショートカットに白い肌。茶色い瞳が印象的なSは、聞けば20代のある時期、芸能人だったこともあるという。
勝手に内気なタイプだと思い込んでいたけれど、Sはウィットとユーモアに富んでいて、気さくで、おまけに人を惹きつける話術に人一倍長けていた。私達はたちまち打ち解け、この日以降S親子は、しょっちゅううちに遊びに来るようになった。
お客さんの天才
ほどなくして私は、Sに特別な才能があることに気がついた。
普通、家にお客さんがやってくるとなれば、迎え入れるほうは相手に少しでもくつろいでもらえるように、少しでも快適に過ごしてもらえるようにと、それなりに気を使うものだ。ところが、お客さんとしてやってくるSは、こちらにそんな気を一切使わせない。それどころか、自分のことはあくまでも自分でやりますのでお構いなく、という極めて自立したスタンスを示しながら、人の家でのびのびとくつろいでいるのである。
思えば最初に来た日だってSは、私が出したお茶の湯呑を、さも当然といわんばかりに自分で手早く洗って帰って行った。その後、2、3度やってくるうちに「アイス買ってきたよ」と言うそばから勝手に人の家の冷凍庫を開け、持参したアイスをしまうまでになった。普段の私なら決してお客さんにそういうことをさせないし、仮にもし無断でやられたら、何となく自分の大切な場所を土足で踏み荒らされたような気になってしまう。ところが不思議なことにSには、そういったことをつい、まったく何の抵抗もなく許してしまうのだ。
こちらに気を使わせないよう自ら進んでくつろぎながら、同時に決して図々しいとは感じさせない、絶妙なさじ加減のお客さん。言うならばSは“お客さんの天才”だった。
あるとき、例によってうちにやってきたSは、片手に大きな紙袋を抱えていた。「それ何?」と私が尋ねると、Sが答えた。
「フライパン。今からオムレツ作ってあげるから」
唐突にそう言うと、勝手知ったるわが家のキッチンに立ったSは、おもむろに卵を割り始めた。持参したフライパンをあつあつに熱し、多めのバターを溶かしたところに、牛乳を加えた溶き卵を、ジュッと注ぐ。菜箸でかき混ぜながらフライパンを揺すり、成形する。手付きがやけに様になっている。「上手だねえ」と私が驚くと「コツを教えてもらったんだよ」と、得意げな顔でSが言う。
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