日本代表に「南ア世代」が残した未来への遺産 代表引退の長谷部、最後のW杯となった本田…

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ここから一気に若返りが進み、本田も同年6月の南アワールドカップ3次予選・バーレーン戦(埼玉スタジアム)で代表デビュー。岡崎も同年10月のUAE戦(ビッグスワン新潟)で初キャップを飾り、頭角を現していく。

川島は川口能活(J3・SC相模原)と楢崎正剛(名古屋グランパス)という2人の先輩GKの分厚い壁に長く阻まれていたが、代表にはほぼコンスタントに帯同していた。

その彼らが南アで中心的な役割を果たし、史上2度目のベスト16を果たしたことで、日本代表の世代交代は一気に加速する。

アルベルト・ザッケローニ監督(現UAE代表)体制初陣だった2010年10月のアルゼンチン戦(埼玉)を岡崎の一発で勝ち切った時には、タテに速く推進力溢れる攻撃が見事なまでに機能。「この代表はどこまで強くなるのか」という大いなる可能性を感じさせた。

選手たちも周囲の期待に応えるかのように、2011年アジアカップ(カタール)を制覇。本田がMVPに選ばれるなど、日本は「最強時代」に突入した印象を色濃く残した。

日本人選手が欧州ビッグクラブで活躍する時代も到来

個人レべルでも、まず長谷部がヴォルフスブルクでドイツ・ブンデスリーガ制覇を経験。本田がCSKAモスクワからACミラン、長友がチェゼーナからインテル、岡崎もシュツットガルトからマインツにステップアップし、川島もベルギーの小クラブであるリールセから名門のスタンダール・リエージュへと飛躍した。

内田篤人(鹿島アントラーズ)もシャルケで長く活躍し、香川もドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドへ引っ張られるなど、日本人選手が欧州強豪クラブで活躍できる時代を築き上げた。

だからこそ、ブラジルワールドカップ予選はそこまで苦しまずに突破できたし、ブラジル本番ではベスト16を超えて最高成績を残せる予感が漂った。

本田が「ワールドカップ優勝を狙う」と公言し続けたことも、最初は異論を唱える声も聞こえてきたが、長友ら仲間たちは賛同。本気で高いレベルを追求した。

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